典礼とは?
典礼…
[ラテン語]Liturgia,[英語]Liturgy.ラテン語リトゥルギアは,16世紀の人文主義者による造語で,ギリシヤ語レイトゥルギアをラテン語化したものである.レイトゥルギアは,70人訳ギリシヤ語旧約聖書では,奉仕または礼拝を意味するヘブル語アボダーの訳語として使われている.ローマ・カトリック教会ではこれを「典礼」と訳し,プロテスタント教会では「礼拝」と訳している.また,ギリシヤ正教会では「奉神礼」と言う.<復> 典礼文は,初めに,2世紀頃に書かれたディダケーの7—10章に見出される.そこには洗礼(バプテスマ)式(7章),主の祈り(8章),聖餐式(9章),聖餐式の後の祈り(10章),について述べられている.そして3世紀に入ると,ヒッポリュトスの書いた「使徒伝承」が現れ,ディダケーよりもさらに詳しい典礼を教会に示した.司教([ラテン語]エピスコプス)・司祭([ラテン語]プレスビュテル)・助祭([ラテン語]ディアコヌス)の叙階式文,洗礼準備と洗礼式文(洗礼,堅信礼,聖餐式の順序),祈りの時,などについて詳しく書かれている.<復> 4世紀の終り,教皇ダマスス1世の時,カトリック教会は典礼用語をギリシヤ語からラテン語に変更した.それに伴って教皇は,ヒエローニュムスにラテン語公用聖書すなわちウルガタの翻訳を依頼した(20年後に完成).5世紀から8世紀にかけて,ローマを中心に典礼音楽が形成されていった.特に,教皇グレゴリウス1世の時,ローマ聖歌とローマ式典礼はヨーロッパ全土に伝えられた.これらはベネディクトゥス会則の伝播とともに,急速に広まっていった.このようにして,ローマ典礼に基づくラテン語の礼拝のみが正統とされるようになった.ローマ典礼は,ミサ典礼書,聖務日課書,式文,聖人祝日表が中心となって構成されている.<復> 一方,英国教会の典礼は,エドワード6世(1547—53年在位)の時代,クランマーが典礼改革をしたことに始まる.エドワード6世は信者に二種陪餐を許可し,クランマーは,これに基づき「聖餐式順序」(第1祈祷書)を出した.それには,ミサ典礼文(ラテン語)以外は英語で書かれていた.また,ドイツ,フランス,スイスの宗教改革者たちも,それぞれ自国語で独自の礼拝式文を出版した.カトリック教会のミサ典礼文との著しい相違は,聖書に立ち返り二種陪餐を選んだこと,そして司祭がパンとぶどう酒を聖別する時,それらの中にイエス・キリストが実在し,十字架上の実際の死が反復され,司祭がキリストを犠牲として神にささげる,という教えを捨てたことである.→サクラメンタリウム.<復>〔参考文献〕『教父時代』(キリスト教史第2巻)第10章,講談社,1980;皆川達夫/三上文子/伊藤恵子「グレゴリオ聖歌史」(『グレゴリオ聖歌集大成』付録解説),キングレコード発売;森紀旦編『聖公会の礼拝と祈祷書』(信徒教養双書3)聖公会出版,1989;『聖ヒッポリュトスの使徒伝承—B・ボットの批判版による初訳』燦葉出版社,1983;A Concordance of the Septuagint, Bagster, 1974 ; Apostolic Fathers(Loeb Classical Library, No.24), Vol.1, Harvard Univ., 1975 ; Leith, J. H., Introduction to the Reformed Tradition, John Knox Press, 1981.(太田良一)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社