《3分で分かる》アンテオケ学派とは?

アンテオケ学派とは?

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アンテオケ学派…

[英語]The Antiochian School of Theology,[ドイツ語]Antiochenische Schule.アンテオケ学派は3世紀から5世紀にかけて栄えた神学の学派である.アレキサンドリア学派と異なり,学校制度を取らなかった.その特色は聖書の文法的,歴史的釈義にあり,アレキサンドリア学派の比喩的解釈を退ける.両者の関係は時には補足的であるが,時には対立的であった.エジプトのプラトン的神秘的伝統に比較すると,アンテオケはアリストテレス的歴史的と言えよう.サモサタのパウロスからルキアノスとアンキュラのマルケロスを経てクリュソストモス,モプスエスティアのテオドーロス,ネストリオス,テオドーレートス,そして後期の反単性論者に至る一連の神学者たちがこの学派を代表している.彼らは,三位一体神における位格の相違はその働きの様態によってのみ区別すべきであると主張する.神観において自らはサベリウス主義と同視されることを拒否しているが,類似していることは否めない.<復> アンテオケ学派とアレキサンドリア学派の決定的な対立は5世紀のキリスト論論争に見られる.後者はキリストの神性を重視するあまり,二性の区別をあいまいにした.これに対し,前者は二性の厳格な区別を主張した.アンテオケ学派に属するタルソのディオドーロスはアレキサンドリア学派が使っていた「肉となったロゴス」という表現を用いることには異存はなかった.しかし,アポリナリオスの,イエスの人性はロゴスの属性によって完全に置き換えられるとの主張には反対した.この見解によれば必然的にロゴスが苦難に遭ったことになるからである.そこで彼は神性と人性の二性を主張し,いかなる属性の移行もないことを強調した.こうして,イエスが十字架の上で死んだのは人性においてであって,神的なロゴスが苦難に遭ったのではないことを明らかにした.<復> モプスエスティアのテオドーロスは,弟子の一人であるネストリオスの時に起った論争に道を敷いたと言えよう.テオドーロスはキリストの二性を峻別するあまりキリストの人性をほとんど一つの位格にしてしまったのみならず,二性間の相互の関係を正当に扱っていない.彼は「内住」という比喩を使うことを好む.キリストの人性は神性が宿る神殿のようであると言う.この内住は永遠性と完全性の面で,預言者やその他の聖人たちの場合とは区別される.この見解は人性を強調しすぎて神性を埋没させてしまう危険をはらんでいた.<復> キリスト論に関するアンテオケ学派の見解はネストリオスと完全に一致していたとは言えない.彼らの中の穏健派はエペソ総会議(431年)後,ネストリオスの極端を避けた声明書を発表した.アレキサンドリアのキュリロスさえもその内容を容認し,東方教会にはその後15年間の比較的平和な時期が到来した.その後,反ネストリオス派のエウテュケースによるキリスト単性論論争が起り,再び東方教会の平和は乱された.→キリスト論,キリスト論論争,三位一体・三位一体論争,アレキサンドリア学派.<復>〔参考文献〕Schaff, P., History of the Christian Church, Vol.2, Eerdmans, 1962 ; Ferguson, S. B./Wright, D. F. (eds.), Packer, J. I. (consulting ed.), New Dictionary of Theology, IVP, 1988.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社