《3分で分かる》ヴィッテンベルク協定とは?

ヴィッテンベルク協定とは?

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ヴィッテンベルク協定…

ルターとツヴィングリとの聖餐論を巡る見解の相違から,長い間一致を見るに至らなかったザクセン地方のルター派と南ドイツのツヴィングリ派とが,ついに実質的な和解と合意に達した記念すべき協定.調停・推進役の中心となったのは,ストラスブールの宗教改革者マルティーン・ブツァーである.聖餐論問題のため,ルター派とツヴィングリ派は1530年のアウグスブルク国会においても分裂したままであったが,カトリック側からの政治的攻勢に対して,ドイツの福音主義陣営は依然実際上の結束を固める必要に迫られていた.このためブツァーは,まずメランヒトンに働きかけ,1534年カッセルにおける会談で,プロテスタント諸派の合意と一致の実現に向けて後者の全面的な賛同を得た.1536年4月,アイゼナハで改革派神学者と会う用意があるとのルターからの書面を受け取ったブツァーは,早速南ドイツ諸都市の代表団とともにアイゼナハへと向かったが,ルターは急病のため来ておらず,結局一行はヴィッテンベルクまで赴くことになり,5月21日同地入りをした.会談初日のルターは,ブツァー並びに南ドイツのツヴィングリ派牧師団が二心の者ではないかという疑いと不信感をあらわに示し,厳粛な口調で,聖餐についての完全な合意なしには,つまり彼らが「ツヴィングリ的異端」を捨てて聖餐のパンは受ける者の信仰の有無にかかわらずキリストのからだであると告白するのでなければ,他のどのような論議も無用であると言明した.次の日ブツァーは,ルターの疑いを晴らすべく努め,自分は以前ルター派の聖餐論を誤解していた時期があったが,今はルター同様,キリストのからだと血にあずかることは人間の信仰あるなしにはよらないことを信じると力説した.牧師団もまた,「ふさわしくない者に与えられたパンも依然キリストのからだである」と信じ人々にそう教えていると告げた.ルターは大いに喜び,長年のわだかまりも消えて,ブツァーらがうれし涙に暮れる中で,一致を宣言した.その後,協定の他の条項が数日討議され,メランヒトン起草の協定が正式にヴィッテンベルク協定として承認された。<復> 調停役を得意としたブツァーの推し進めたヴィッテンベルク協定は,聖餐におけるキリストの客観的現在を主体的信仰の有無とは無関係なものとして主張するルター派の立場に添ったものであり,実際の解釈はそれぞれの派で違っていても,一応ルターとツヴィングリの両派が表面的にせよ同意できるように選ばれた表現をもって聖餐を論じている.しかもルター派聖餐論のもう一つの主張点であり長年の争点でもあった「キリストの遍在」(キリスト遍在説)についての言及は,巧みに避けられている.それにより協定は,神学的な内容については妥協の産物特有の概念的あいまいさが問題として残るものの,その所期の目的をとにかく果し得た.協定によってルター派と南ドイツのツヴィングリ派との長期にわたる反目状態に終止符が打たれ,ドイツ・プロテスタントの統合が成し遂げられたからである.この協定以後,ツヴィングリ派自体も,ブツァーらのようなルター派に近いグループと,聖餐に関してあくまでも極端な形での象徴説を奉じるグループとに二分された.→聖餐論,聖餐式,ルター,ブツァー,ツヴィングリ.(角川周治郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社