《3分で分かる》スコットランド信条とは?

スコットランド信条とは?

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スコットランド信条…

[英語]Scottish Confession,[ラテン語]Confessio Scotica.スコットランド長老派教会の最初の信条.ジョン・ノックスと5人の牧師たちによって4日間で書き上げられた25条から成る信条で,1560年にスコットランド国会で承認され,1647年にウェストミンスター信仰告白が国会で採用されるまでスコットランド教会の信条であり続けた.その神学的立場はカルヴァン主義である.<復> 腐敗,堕落した旧来のスコットランド教会に最初に改革の刺激を与えたのはルターの著作とティンダル訳の新約聖書であった.そしてパトリク・ハミルトン,ジョージ・ウィシャートがプロテスタント主義に立って説教し改革運動を進めたが,彼らは共に殉教した.その志を継いだのがノックスである.彼は1514年頃生れ,初めローマ・カトリック教会の司祭であったが,後に聖書とアウグスティーヌス,ヒエローニュムスを学び,ウィシャートの説教を通してプロテスタントに改宗した.改宗後はただちに熱心な改革者となって,ミサや教皇を激しく攻撃し始めた.<復> 彼は短い期間ではあったが,スコットランドのセント・アンドルーズ城守備隊の兵士たちに説教するために城にとどまっていた.その時,城奪回のために反撃してきたスコットランドの同盟国フランスの軍隊に捕えられ(1547年),19か月間ガレー船の奴隷となった.解放されて後5年間(1549—54年)英国の各地で説教した.その間,1551年にはイングランド国王エドワード6世の6人のチャプレンの一人に選ばれた.その任務にある間に彼は信条作成と典礼の改定の相談を受けている.<復> カトリック信者のメアリ・テューダーがイングランド女王になると迫害を逃れて大陸に渡り,フランクフルトにしばらく滞留の後,ジュネーブに行きカルヴァンのもとで学びカルヴァン主義の立場に堅く立つに至った.ジュネーブに亡命している英国人のために説教をし,ジュネーブ聖書の訳にも協力した.その後彼は残った13年6か月の人生を母国の宗教改革にささげたのである.(スコットランド長老派教会は,信条採用から7年後の1567年にようやく議会によって承認され,同年,最初の総会を開催した).<復> スコットランド女王メアリ・スチュアートの摂政であるギーズ家のメアリが死去し,フランス軍も駆逐され,まだ女王が嫁ぎ先のフランスから帰国する前の1560年8月1日にスコットランド議会はローマ教会と決別し,プロテスタント主義を受け入れることを決めた.そしてノックスたちに急いで信条作成をさせたのである.こうしてでき上がった信条は,初めに簡単な序文が付され,スコットランド方言で書かれた25条から成るカルヴァン主義信条の一つである.神論から始まって,教会論,礼典論,官憲論,終末論で終る正統的改革派信条である.→カルヴァン主義,長老派,改革派,ノックス.<復>〔参考文献〕『信條集』前篇,新教出版社,1955 ; Schaff, P., The Creeds of Christendom, Vol.1, Harper & Brothers, 1931.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社