《3分で分かる》ベルギー信条とは?

ベルギー信条とは?

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ベルギー信条…

[英語]Belgic Confession,[フランス語]Confession de Foi des E´glises Re´forme´es Wallonnes et Flamandes.<復> オランダ改革派教会の伝道者で後に殉教したギー・ド・ブレー(ギド・ド・ブレ)がフランス信条(1559年)に基づきながらフランス語で作成したもの.スペインがネーデルランドを支配していた頃,改革派信仰を鮮明にする必要に迫られて公にしたカルヴァン主義に立つ信条である.<復> ド・ブレーは,改革派の一掃を決意したスペイン王フェリーペ2世(フィーリプ)に理解と寛容を求めて1561年にこれを起草した.それゆえに,この信条の内容は,改革派信仰が初代教会の信仰を継承するものであることを弁証し,ローマ・カトリック信仰やアナバプテストの教えとは相違することを明らかにすることに力を注いでいる.<復> ド・ブレーは1523年頃ヘネゴのモンで生れた.ローマ教会の教育を受けたが,聖書研究の結果プロテスタント信仰に改宗した.母国追放の後,彼はエドワード6世治下のロンドンに亡命し,そこで聖職になるための教育を受けた.それからローザンヌで学び,後に南西ベルギー並びに北フランスの巡回伝道者となった.その後ジュネーブ出身の若い宣教師ペレグラン・ド・ラ・グランジとともに捕えられ,鎖につながれ,ついに1567年5月31日に絞首刑に処された.罪状は,ブリュッセルの法廷命令に対する不服従と改革派教会で改革派流の聖餐式を執行したことにあった.<復> ベルギー信条は,ド・ブレーがハドリアン・ア・サラビア(後にライデン大学神学教授),一時期宮廷チャプレンを務めたことのあるモデツス,ウインゲン等の援助を得て作成した.後にカルヴァンの弟子でアントワープの牧師フランツィスクス・ユーニウス・デュ・ヨンが改訂,ジュネーブその他の教会に送り承認を求めた.1562年に公刊され,後にオランダ語,ドイツ語,ラテン語に翻訳された.1566年5月のアントワープ会議で採用,1618—19年のドルト会議で再確認され,以後オランダ並びに欧米の改革派系諸教会の信仰規準の一つになっている.<復> この信条は37条から成り,その教理体系はウェストミンスター信仰告白に次ぐ出来映えと評価されている.最初に唯一神の存在を扱い,続いて神認識の手段と聖書論を展開した後に,三位一体神論,創造論,摂理論,人間論,キリスト論,義認論,聖化論,教会論,統治論,終末論の順に信仰告白がなされている.→改革派,カルヴァン主義,信条・信条学,信仰の告白.<復>〔参考文献〕Ecumenical Creeds and Reformed Confessions, Board of Publication of the Christian Reformed Church, 1979 ; Schaff, P., Creeds of Christendom, Vol. 1, Harper & Brothers, 1931.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社