《3分で分かる》ローマとは?

ローマとは?

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ローマ…

[イタリア語]Roma,[英語]Rome.〈永遠の都〉と称せられた町と,それを都として建設された史上空前の大帝国.建国の年は伝説では前753年であるが,実際は前600年頃と言われる.一小都市国家であったローマは,王制の間に近隣を合せ,やがて共和国となった(前510—前31年).その間にローマ人の堅忍不抜の精神と分割統治の巧みな政治政策により,半島統一のわざを完成し(前270年頃),3回にわたるポエニ戦争(前264—前146年)を経て地中海一帯を平定した.<復> 共和制末期にはカエサル(シーザー)の独裁があったが,後,オクターウィアーヌスがアントーニウスをアクティウムの戦い(前31年)で破り,ついに帝政ローマを樹立し,ローマの平和(Pax Romana)と秩序を回復した.オクターウィアーヌスは,前27年1月元老院会議において「アウグストゥス」(尊厳なる者)の尊称を与えられ,帝政ローマ初代皇帝となった(前31—紀元14年在位).新約聖書ルカ2:1に登場する皇帝アウグストである.彼は,元老院と共同で統治する特殊な政治形態(プリンキパートゥス)を採用し,専制君主的傾向を避けた.イエスはこの初代皇帝の治世に誕生し,次のティベリウス(テベリオ)(14—37年在位)のもとに公生涯を送り十字架刑に処せられている.また,官僚制度を強化し,行政組織を整備して国家の基礎づくりに貢献したクラウディウス帝(41—54年在位)時代に,パウロはほとんどの伝道旅行を終えた.共和制形式は1世紀末には次第に消滅し,皇帝の独裁政治が強調され,ドミティアーヌス(81—96年在位)に至って皇帝礼拝が確立した.<復> 帝政の隆昌はローマ人の信じたような永遠のものではなく,3世紀頃から帝政衰退の兆しが現れ,ディオクレティアーヌス帝(284—305年在位)は東方的専制君主制(ドミナートゥス)によって帝国を救おうと試みた.皇帝礼拝を拒否するキリスト者に対する迫害はこの頃からますます強化された.けれども,ついに313年コンスタンティーヌス1世はミラノ勅令を発布してキリスト教を公認し,テオドシウス1世(379—395年在位)はキリスト教を国教とした.しかし395年帝国は東西に分割され,東ローマ帝国はその後千年続いたが,西ローマ帝国は476年に滅亡した.キリスト教ヨーロッパの確立(800年頃)とともに,教皇の座としてローマは重要な位置を占めるようになった.1929年ムッソリーニ時代の協定により,ヴァチカン市国が成立して今日に至っている.<復> ローマの文化の特質は,先進文化との接触,刺激によって促進されたところにある.共和制時代のローマ人はギリシヤ文化の忠実な模倣に終始し,帝政時代には東方文化をよく咀嚼(そしゃく)して,国家的・生活的領域において創意を発揮するよう努力した.法律学,土木建築の高い技術は東方に見られない独自のものがある.→皇帝礼拝,殉教,迫害,教会建築.(湊 晶子)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社