ホーリネスとは?
ホーリネス…
1.神の属性としての聖のこと(→本辞典「聖」の項).<復> 2.その聖が信仰者の生活の中にも表現されることを,神の恵みのわざの結果として期待し得る,とする信仰的立場,及びその立場を主要な教派的特徴とする教会として,日本で20世紀初頭以来その歴史を築いてきたグループの名.以下はその略史である.<復> 1901年に中田重治及びC・カウマン(とその夫人)によって東京神田に設立された中央福音伝道館が,日本のホーリネス運動の中心となった.「新生・聖化・神癒・再臨」を強調する,いわゆる四重の福音をその信仰的特色とし,実践的伝道的なキリスト教をおもに庶民を対象に伝えた.その傍ら,塾のような聖書学校を始め,伝道者養成にも力を入れた.そこを巣立った者たちを遣わすことで,日本各地に,やがては海外にまで福音伝道館が設けられた.上の2人のほか笹尾鉄三郎,E・キルボルンも初期から協力し,この4人をもってホーリネス教会の創立者とされている.<復> この運動の主体である団体を,最初は東洋宣教会と称した.各地の伝道館はその支部で,聖書学院は淀橋に移り,本部となる.1917年に一教派として「東洋宣教会ホーリネス教会」を設立,中田は初代監督となる.その後「日本ホーリネス教会」と改称し,東洋宣教会のほうはアジア各地への宣教を任務とする別個組織として,上記の2人の宣教師が専ら指導した.(ただし両組織は提携協力の関係を保ち続ける).1919年,1930年にホーリネス教会に起ったリバイバルにより,教勢は飛躍的に進む.このリバイバルは他教派にも大きな刺激となった.1933年,再臨信仰に関する問題が原因で分裂を生じ,3年後和協分離が成立,中田に従う側は「きよめ教会」,反対側は「日本聖教会」(会長・車田秋次)を名乗り,それぞれ新出発をした.分裂少し前の1930年末統計報告によると,会員数1万2046人,受洗者数4311人.翌年末の教会数403である.<復> 1941年6月新教各派合同による「日本基督教団」成立とともに,日本聖教会は第6部,きよめ教会は第9部として教団に参加.きよめ教会の一部は合同を拒み「東洋宣教会きよめ教会」となる.しかし翌年6月の一斉検挙を初めとしてホーリネス系教会は弾圧を受け,これらの教会は解散を命じられ,おも立った教師たちは投獄され,殉教者も出た.<復> 戦後,「ホーリネスの群」のほかは日本基督教団より離脱して,イムマヌエル綜合伝道団,日本ホーリネス教団,基督兄弟団,基督聖協団等の8教団を形成している.→聖,神の属性,中田重治,蔦田二雄,日本のおもな教団・教派,メソジスト主義,ウェスレー主義.<復>〔参考文献〕米田勇『中田重治伝』福音宣教会,1959;ホーリネス・バンド弾圧史刊行会編『ホーリネス・バンドの軌跡』新教出版社,1983.(千代崎秀雄)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社