《5分でわかる》ヨシュアとは?

ヨシュアとは?

スポンサーリンク

ヨシュアとは…

同名異人で著名人となると、ヨシュアの場合はド偉い人がいる。キリストなるイエスである。イェホシュア(ヘブル語)のギリシヤ語風表記と発音は、イエスース。そう、あのモーセの後継者と救世主キリストとは、同名なのである。ヨシュア=イエス。これはさほど珍しい名ではない、イスラエルでは……。

モーセの従者・後継者

ヨシュアは、モーセの後継者として立てられる前、何十年間かモーセの従者として奉仕した。従僕、従卒(軍隊の)、あるいは相撲の付け人的な、軽い感じを受けかねないが、メシャーレース(ヘブル語)は高度な職務を意味しており、「側近・副官・秘書」という感じ。側近くいて仕え、本人に素質があれば次代の最高指導者として必要なすべてを、直接に学びとることのできる立場である。
出エジプト事件後まもなく、ヨシュアはモーセの従者となった。荒野放浪の40年間、ヨシュアはモーセの姿から多くを学んだにちがいない。
彼の素質が輝いたのは、荒野の略奪者アマレク人の一隊に襲撃されたときである(出エジプト記17章)。モーセはヨシュアに命じて防衛隊を組織させ、抗戦の指揮にもあたらせた。ヨシュアの軍事指導者としての素質は十分に発揮され、彼を選んだモーセを満足させ、民全体の信頼をも得るに到り、後年のために土台を築く結果になった。
その後も何度か、モーセの生涯の大事な場面にヨシュアは登場する。しかし最重要かつ最後の場面は、後継者として公的に指名されるときである(申命記31章)。
自らの死の間近いことを悟ったモーセは、イスラエルの未来について全会衆に語り、後事をヨシュアに託した。場面はヨルダン川東岸、モアブの地であり、対岸にはエリコ平原が広がる。やがてモーセの死。

ヨルダン川渡河

服喪の30日が終わって新時代が開幕し、ヨシュアはその指導者となる。彼の任務は、民を率いてヨルダン川を渡り、エリコ攻略の緒戦に続き、カナン平定戦を成功させ、イスラエルに国土を得させることだった。非常な大任は、モーセの負ったそれに劣らない。
まずヨルダン渡河だが、ときは麦などの収穫期、雨期の終わりと源流の高山の雪解けが重なり、ふだんは幅20〜30メートルの川幅が、増水のため800メートルほどに広がり、水面下には潅木・喬木の梢がびっしりで、泳いでも舟でも渡れたものではない。
しかし神は「モーセのとき同様にわたしがついていて、奇跡を現すから、渡河の準備をして指定の日に行動を起こせ」と命じた。出エジプトのときの奇跡は再現された。先頭に立つ祭司たちは契約の箱(なかに十戒を刻んだ石の板を入れた)を担いでいたが、彼らの足が水際に浸かると同時に減水がはじまった。
「ヨシュア記」3章では、アダムの町のあたりで水がせきとめられたと記す。そのあたりは両側が石灰岩の断崖で、1927年の地震のとき崖崩れがあって、水流が21時間せきとめられたこと、また増水による激流で侵食されて同様なせきとめが起こったことを、聖書地理の本などが報告している。
このヨルダン川渡河はイスラエル側の士気を高め、エリコ側には逆に作用した。日露戦争のときにも、日本軍による奇跡的渡河作戦の成功がロシア側にショックを与え、以後の展開が日本軍有利となったことを、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の一節が紹介している。

「聖戦」の意味とは?

城壁に囲まれた町エリコは、城門を閉じ、サザエがふたをしたように防備に徹する作戦をとった。このような「城市」は、日本にはなかったが、外敵の襲撃を絶えず経験した大陸国家では珍しくなかった。とくに香料などによって富んでいた町エリコは襲撃略奪を防ぐために高い堅固な城壁をめぐらしていたことは、現存する遺跡からもうかがわれる。
この街の攻略は至難だった。しかし第2の奇跡が起き、城壁はアッという間に崩壊したようである。これについても、ある程度説明できるが、紙数のワクがあって略す。興味のある方は、拙著『棕櫚の街から―ヨシュアとその時代』(一粒社)をご参照いただきたい。聖書全体がそうだが、「ヨシュア記」にはことに、信じ難いような奇跡の記事が重なる。上の拙著には、奇跡について詳しく解説しておいた。
「ヨシュア記」を読んで感じるもう一つの難問は「聖戦」である。ヨシュアの事業とは先住民族の絶滅作戦である。それは国土の侵略奪取であり、しかも、聖書はこの点について肯定的にみえる。おかしいのではないか。
この難問に対しても、同じ拙著のなかで可能な限り答えておいた。ご賛同が得られるかどうか、自信はないが、少なくともいくぶんかのヒントをつかんでいただけるものと思っている。

戦いの連続となった生涯

ヨシュアの人物像は漠然としか描けない。
父の名はヌン、これだけは明記されているが母の名は不明。家族がいたことはたしかだが、妻子の名も不明。
彼の性格は勇敢、一本気だったようで、信じたら迷わずに前進する人。使命、任務にはあくまで忠実。こうしてみると典型的な軍人タイプが思い浮かぶ。そういう人だから、老後はノンビリと……という気にもなれなかったのかもしれぬ。
彼の晩年に、主は語られた。「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている」(ヨシュア記13章)。
隠居など許されぬ老年、と考えると気の毒になるが、考えようによっては幸福かもしれない。もう自分には何もすることが残っていない。自分は社会にも周囲の人々にもまったく役に立たぬ、世に不必要な人間なのだ……と思い込む老年は絶望的ではないか。
ヨシュアの生涯は戦いの連続だった。最後には老年期の無為との戦いだが、ここでも彼は勝利を得た、幸福な人だった。
(出典:千代崎秀雄『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 38-42p)

聖書人物伝
千代崎秀雄、鞭木由行、内田和彦、杉本智俊、岸本紘 共著
224頁 定価1,800円+税
いのちのことば社