《3分で分かる》ドナトゥス派とは?

ドナトゥス派とは?

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ドナトゥス派…

[英語]Donatists.4世紀から8世紀頃にわたって北アフリカの教会の中で分派活動をした一派.起源は,303年のディオクレティアーヌス皇帝の迫害の時に聖書の写本を迫害者に渡した司教フェーリクスが執行したサクラメントの有効性を巡って,カルタゴ教会内で起った論争にさかのぼる.311年,この司教がカエキリアーヌスをカルタゴの司教に任職したが,ヌミディアの司教たちはこれを無効として対立司教マヨリヌスを選任した.316年頃にマヨリヌスの後継者となったのがドナートゥスである.分派の名は彼に由来する.<復> コンスタンティーヌス大帝は313年,北アフリカのカトリック教職者に下付金を与えたが,ドナトゥス派には与えられなかったので皇帝に訴えた.同年のローマ会議はドナトゥス派の主張を検討した結果,これに反対を決議した.その後教会側との争いは激化し一層深刻になった.314年のアルルの会議でドナトゥス派は断罪された.そこで彼らは皇帝に訴えたが皇帝もまた316年ミラノで彼らに反対し,同派の司教たちを追放し教会を没収すると脅した.しかし彼らはこれにも屈することなく反抗を続けた.皇帝は力で彼らを改めさせることはできないと知り,321年勅令を発布し,ドナトゥス派に信仰と礼拝の完全な自由を許した.<復> 最初にこの分派に神学的な攻撃を加えたのはオプタートゥスである.後にアウグスティーヌスが加わった.特に後者は,自分の教区の中に多数のドナトゥス派がおり,何とか説得しようと試みたが成功しなかった.405年に帝国側が再び介入しこの分派を攻撃,411年のカルタゴ会議で皇帝派遣の全権大使はドナトゥス派断罪を宣言した.この後この派は弱体化したが,アフリカ教会が7世紀から8世紀頃にイスラム教に壊滅させられるまで生き延びた.<復> 彼らは神学的には厳格派である.聖徒の教会は聖でなければならないとし,背教者の執行するサクラメントを無効とした.教会は唯一の聖なる群れであるゆえにドナトゥス派だけが真の教会であり,この派に改宗する者は再洗礼を受けなければならない,と主張した.これに対して教会は,サクラメントの執行も教職の任職も,たとえ人格的に問題のある教職によって執行されようとも有効であると宣言した.→背教,迫害.<復>〔参考文献〕W・ウォーカー『古代教会』(キリスト教史1)ヨルダン社,1984;Schaff, P., History of the Christian Church, Vol.2, Harper & Brothers, 1962.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社