《3分で分かる》背教とは?

背教とは?

背教…

[ヘブル語]メシューバー,[ギリシャ語]アポスタシア.いったん持っていた神への信仰を,本人の自由意志で,しかも信仰生活から離れるという目に見える行動をもって,捨てることを意味する.<復> 背教の概念は,旧約では神の選民が律法の教えに反して,偶像礼拝の罪を犯す時の「主を捨てる」こと(ヨシュア24:16),及び「背信の行為」(ホセア11:7)として語られている.分裂王国時代の多くの王たちは,背信によって民を偶像崇拝の罪に陥れ,国家的な危機をもたらした(Ⅱ歴代12:1‐5等).新約では,背教が教会にとって危険なものであることが繰り返し警告されており(Ⅰテモテ4:1‐3,Ⅱペテロ3:17),特に終末において,神の権威への反抗として起ると預言されている(Ⅱテサロニケ2:3).<復> 背教の本質は,「信仰から離れる」こと(Ⅰテモテ4:1),「生ける神から離れる」こと(ヘブル3:12)であり,原因としては,迫害(マタイ24:9,10),偽教師(ガラテヤ1:6‐8),誘惑あるいは試練(ルカ8:13),キリストについての誤った知識(Ⅰヨハネ2:19),礼拝と信仰生活の放棄(ヘブル10:25‐31),不信仰(ヘブル3:12)などが挙げられる.主イエスを裏切ったイスカリオテのユダや,ヒメナオとアレキサンデル(Ⅰテモテ1:19,20)などがその実例である.なお意図的な背教をした場合には,回復される望みが残されていない,との厳粛な宣言がある(ヘブル6:4‐6).しかし迫害の際に,暴力に屈して異教の神々へ香をたいたり,キリストの御名を否んだりさせられた信者たちは脱落者(ラプシ)と呼ばれたが,後に復帰を許される者もいた.初期の教会は,彼らと区別して自分の意志で信仰を捨てた者だけを背教者と見なした.その顕著な一例は,ローマ皇帝ユリアーヌス(332‐363年)で,彼は王位につくと間もなく,異教へ傾き,キリスト教信仰を捨てたゆえに,背教者ユリアーヌスとしてその名を歴史に残すに至った.<復> 日本のキリスト教会で起きた例としては,弾圧による背教,偽装的背教,くぐり抜け的背教,非キリスト教思想へ脱出する背教,自覚的決断なしに東洋的宗教思想に回帰する背教が,諸類型として挙げられる.→偶像崇拝,罪・罪論.<復>〔参考文献〕武田清子『背教者の系譜』岩波書店,1973;Bromiley, G. E., International Standard Bible Encyclopedia, Eerdmans, 1979.(伊藤淑美)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社