《5分でわかる》イザヤとは?

イザヤとは?

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イザヤとは…

旧約聖書』の預言者には2種類ある。記述預言者と非記述預言者である。前者はそのメッセージが聖書中の一書として残っているが、後者はそれがなく、その活動が聖書中に記録されている人々である。後者の代表がエリヤエリシャであり、前者の代表がイザヤ、エレミヤなどである。
なかでも「イザヤ書」は66章もあり、最大量の内容をもつ。量質ともに傑出した預言者である。

イザヤの危機感

理由の一つはイザヤの活動した時代背景にある。それは紀元前8世紀、当時急成長をしたアッシリヤ帝国が侵略征服の軍を西に向け、ついに北王国イスラエルが滅亡した時代だった。その軍は南王国ユダをも襲い、エルサレムは包囲攻撃される。この少し前からユダ王国で活躍したのがイザヤだった。
イザヤが預言者としての使命を自覚したのは、ウジヤ王の死んだ年というから、前740年頃。この王はかなり有能な統治者で、国民は期待を寄せたが、高慢になって神に裁かれ、悪質の皮膚病にかかり、失意の晩年をすごした。後継者ヨタムは凡庸であり、次の王アハズは不信仰で、しばしばイザヤから叱責や警告を受ける。
ウジヤの死はユダ国民に危機感を与えたであろう。とくにイザヤに。
今後しばしば襲うであろう国難に際して、王や民が神への信頼と服従を忘れて右往左往する可能性が大きい。そのとき彼らに神の言葉を伝え、正しい指針を示す預言者の使命は重大であるとイザヤは感じた。イザヤはあるいは王家につながる家柄の出だったかもしれない。だとすればヨタムやアハズの人物も信仰も、よく知っていたし、容易に王に面接し、助言することもできたにちがいない。
最初の国難は、北王国が北隣のアラム(現シリヤ)と同盟を結び、その連合軍がエルサレムを包囲攻撃する、という形で訪れた。

絶望的状況でのお告げ

このときにイザヤがアハズ王に語ったのが、有名なインマヌエル預言である。1人の男の子の誕生と、その名がインマヌエル(神がわれらとともにおられる、味方である)と呼ばれる、というこの預言はアハズを激励するものであるとともに、真の成就はキリスト降誕によってもたらされた、と『新約聖書』は告げる。哲学者カントの名はここからとられた。
「イザヤ書」にはほかにもいくつか、有名なメシヤ預言がある。メシヤ(油注がれたものの意。ギリシヤ語ではキリスト)がやがて到来し、神による救いを実現することを語り、また世の終わりには再度来臨して、地上に真の平和、永遠の平和を実現する、というメシヤ預言は、クリスマス頃には教会でよく朗読されるので有名である。
アハズの次のヒゼキヤ王の代になると、北王国イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、ユダも攻撃され、最大の危機に直面した。ヒゼキヤは祖父や父とちがって信仰的に純粋であり、イザヤの指導にもよく従った。
敵の大軍に包囲されたエルサレムは絶望的状況だったが、イザヤはヒゼキヤを励まし、主は必ず救ってくださると告げた。一夜、主の使いが出てアッシリヤ軍を打ち、18万5000人が殺された、と記されている。猛烈な伝染病だったろうか。アッシリヤ王は、ほうほうのていで逃げ帰った。イザヤの告げたとおりになった。

「しもべの歌」

「イザヤ書」36〜39章は、このいきさつを伝える歴史記述であるが、39章にはユダ王国が将来バビロン軍に滅ぼされ、王や貴族など上層階級はバビロンの捕囚となる、とイザヤがヒゼキヤに語ったことを記す。
40章以下は、このバビロン捕囚にかかわる預言として、新しい部分に入る。それはまず、捕囚期が終わって帰国することからはじまる。「慰めよ。慰めよ」と書き出すこの部分は時代を超えて読者の心に強い慰めと癒しを与える、壮大な預言詩である。
歴史を支配し、世界を統治する神がイスラエルの主であるとともに全人類の主でもあることを述べ、罪をゆるし、救いをほどこす神であることを格調高くうたう。
なかでも、その救いのわざを地上に実現する1人の人物を中心とする一連の預言詩があって、「わたしのしもべ」と呼ばれるところから、この預言詩群は「しもべの歌」と名づけられて、「イザヤ書」後半の主旋律のような位置を占める。そのクライマックスは52章終わりから53章にかけてであり、そこにはこの「主のしもべ」の受難詩が綴られている。
そこには、「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」(イザヤ書53章)と、民全部の、もしくは全人類の代理者として「主のしもべ」が苦難を受けて死ぬことが述べられている。

預言の神秘

ここを読むと、イエス・キリストの十字架による死の様子とその意義を、目撃した者たちによる報告と思いたくなる。「しもべ」の名は書かれていない。いつ、そのことが起こるかも触れていない。
新約聖書』が報告する十字架の記事と、この預言とを読み比べると、預言というものの神秘さに感動せずにはいられない。
学者のなかには、「イザヤ書」の著者複数説を唱える人もいる。40章以下を第2イザヤ、さらに後の部分を第3イザヤと呼び、捕囚帰還後の時代の作とする。もしそうだとしてもなお紀元前数世紀の産物であり、十字架の事実よりはるかに前である。
日本でも毎年奏されるヘンデルの「メサイヤ」は、その題材の中心を、この「主のしもべと、その苦難」からとっている。イザヤ書を読んでメサイヤを聴けば感銘は深まる。
(出典:千代崎秀雄『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 70-73p)

聖書人物伝
千代崎秀雄、鞭木由行、内田和彦、杉本智俊、岸本紘 共著
224頁 定価1,800円+税
いのちのことば社