《3分で分かる》メランヒトン,フィーリプとは?

メランヒトン,フィーリプとは?

メランヒトン,フィーリプ…

Melanchthon, Philipp.1497—1560年.ドイツの人文主義者であるとともにルターの同僚として大きな働きをした宗教改革者.バーデンのブレッテンに生れ,14歳にしてハイデルベルクで学士号を,2年の後テュービンゲンで修士号をそれぞれ取得,古典ギリシヤ語にたぐいまれな才能を発揮し,優れた文法家また聖書的人文主義者として名声を得る.エラスムスなど他の人文主義者とともに教会の堕落を批判し,原典による聖書研究を進め,宗教改革の下地となったキリスト教の根本に立ち返ろうとする機運を高めるのに貢献した.1518年にヴィッテンベルク大学のギリシヤ語教授となり,そこでルターと知り合う.ルターから神学的に深い影響を受けて宗教改革的立場をとるに至り,人文主義者転じて神学者・宗教改革者としての道を歩み始める.以後,深いところでのルターとの思想的相違は存したものの,ルターのいわば公的代弁者として活躍する.1521年にプロテスタント教会最初の教義学書である『ロキ・コンムネス』(神学総覧)を義認論を中心に著す.この書は,体系的かつ知性的な彼の面目躍如としたものであって,その明晰な文体と穏健な調子とで多くの人を引き付けた.また1530年にはプロテスタント教会最初の信仰告白となった『アウグスブルク信仰告白』を執筆,翌1531年に『アウグスブルク信仰告白の弁証』を公にする.これらのおもな文書活動に加え,実際的にもいろいろな面でルターの助けとなり,宗教改革の教会形成に寄与した.優れた知性と豊富な知識とに裏付けされた彼の活動がプロテスタント教会に及ぼした影響は,ある面でルターをしのぐものであった.ただ彼は,結局は人文主義的立場を捨て切れなかったためであろうか,ローマ・カトリック教会との和平を重んじるあまり,教理的にしばしばプロテスタント的信条を妥協的なものにする傾向があった.このために,ルター没後は徐々に指導力を失い,晩年はルター派教会内部での長期にわたる神学論争に巻き込まれ孤独のうちに日を送ることとなる.→メランヒトン派.(角川周治郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社