《3分で分かる》ノヴァティアヌス派とは?

ノヴァティアヌス派とは?

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ノヴァティアヌス派…

[英語]Novatianists.ローマの司祭で指導的な役割を果した神学者ノウァティアーヌス(200年頃—258年頃)を指導者とする一派.ヒエローニュムスによると,彼には7冊以上の著作がある.中でも「三位一体論」はテルトゥリアーヌスの三位一体論をさらに発展させたもので古代史の中では神論確立のために貢献した神学者としてよく知られている.また最も高く評価すべき点は,キリスト論論争においてキリストが全き神であると同時に全き人でもあることを主張したことにある.<復> 教皇ファビアーヌスがデキウス帝の迫害(250年)によって殉職し教皇座が空位となっていた時,その間,彼はローマの司祭として教会を指導した.個人的な反目に始まった争いで敗北し,251年にコルネーリウスが教皇に選出されるに及んで失意の日を送ったが,その後コルネーリウスの対立教皇として選ばれた.彼と支持者は,デキウス帝の迫害時に背教した者の教会復帰を安易に許すべきでないとの立場を取っていた.ところが教皇は十分な悔い改めのない者の復帰を安易に許していたので,彼らはその処置に反対し,復帰を拒絶する最も厳格な立場を主張するに至った.コルネーリウス派は251年のローマ会議と252年のカルタゴ会議で,悔い改めの厳しい条件の下ではあるが,背教者の復帰を許した.これから後この決議が支配的となり,ノウァティアーヌスとその一派は追放されるに至った.ノヴァティアヌス派は教会を組織し,自分たちこそ純粋な真の教会であると主張した.アンテオケ司教ファビアーヌスはこの分派を支持したが,アレキサンドリア司教ディオニューシオスはこれに激しく反対した.このような中でノウァティアーヌスは257—258年のウァレリアーヌス帝の迫害の時に殉教した,と伝えられる.教理的には正統派であったが,彼らは分派ということで断罪され追放された.この派は7世紀頃まで存続した.→背教,迫害,異端.(泥谷逸郎)
(出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991)

新キリスト教辞典
1259頁 定価14000円+税
いのちのことば社