《じっくり解説》小アジヤとは?

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聖書辞典
Bible Dictionary

 

小アジヤ しょうアジヤ

アジヤ大陸の西端に突き出た広大な半島で,東西に約1000キロ,南北に400―600キロ.現在のトルコ領の約97パーセントを占める半島の北西部で,ボスポラス海峡,マルマラ海,ダーダネルズ海峡を隔てて,バルカン半島と向かい合っている.現在,バルカン半島の先端は,トルコ領となっているが,トルコ側から見た北西隣接国は,ブルガリア,ギリシヤである.西に目を転じれば,エーゲ海,南は地中海,そして北は黒海に囲まれている.東部では陸続きに,現在ではソビエト連邦,イランがあり,東南部でイラク,シリヤと接している.なお,その東の辺境には,ティグリス,ユーフラテス両大河の源流をなすスファン山(4434メートル)がヴァン湖北岸にあり,また,ノアの箱舟漂着の地とされるアララテ山(5165メートル)が,東北の端に位置している.
黒海沿岸地方は,海抜2―3千メートルの連山を持つ,ポント山脈が東西に走り,地中海沿岸はというと,これまた2―3千メートル級の山々を持つタウロス山脈がやや弓状に走っている.黒海沿岸地方は,山地の迫る険岸が多いが,山地で広葉樹林,針葉樹林が育つ.エーゲ海から地中海沿岸地方は,オリーブなど常緑広葉樹林が多い.内陸アナトリア高原は,乾燥気候でステップか半砂漠が多いが,小アジヤ地方を全体としてみれば,温帯に含まれ,西アジヤでは最も降雨に恵まれている.
ヨーロッパとアジヤの接触する広大な土地であるため,古来幾多の戦場となり,また民族大移動の舞台ともなった.それゆえ文化,宗教,人種などがあらゆる面で混合する地帯となっている.
⒈旧約時代の小アジヤ.前3千年期には原住民ハッティ(原ヒッタイト)が住んでいた.古代オリエントとは全く異なる言語を持ち,広範囲に貿易を行っていた.アッシリヤ人の植民都市もあり,鉱石や木材を産してそれらを交易のおもなるものとしていた.
前3千年以後,アーリア人,モンゴル人,セム人が侵入してくる.そして,前2千年頃からヒッタイトが入り,前1850年には,都市国家が形成され,いくつかの王国ができている.ヒッタイトはすでにあった青銅器に加えて鉄器文化を導入し,支配権を拡大して以後千年以上にわたり小アジヤを制した.アッシリヤからは楔形文字を学び,馬,戦車を採用して文化交流を盛んにし,南のエジプトとも並んで勢いを競った.ヒッタイト王国については一応前1740―1460年を古王国時代,前1460年以降を新帝国時代と呼ぶ.古王国の時代は地方分権の時,強力な国家形成の途上であり,新帝国は中央集権が成って,王族,貴族,士族の階級が定まった.ハムラビ法典と並び称されるヒッタイト法典もあった.これは刑法,家族法,民法,商法などから成り,賠償による和解の精神の強いものと言われる.最盛期にはカルケミシュを北都とし,オロンテス河畔のカデシュを南都として,西は多島海から,東はユーフラテス流域にまで勢力を及ぼし,南はシリヤからエジプトにまで脅威を与えていた.前13世紀前半,エジプトと戦い,前1269年,エジプトのラメセス2世と友好条約を結んだ.これが歴史上最古の国際不可侵条約と言われるものである.
前1200年以後,海の民ペリシテ人の侵略,またヨーロッパからのトラキア・フルギヤ人などの諸民族の移動の渦に巻き込まれ,その社会構造は瓦解し,帝国は消滅していった.前717年カルケミシュが陥落し,さらにはリュディア人の侵入もあり,前6世紀半ばには完全にヒッタイトの歴史は終わった.
フルギヤ人の王国は前8世紀の終わり頃にアッシリヤによって,また前7世紀の前半にキムメリオス人の来襲で弱められた.
その後小アジヤに現れたのは,ペルシヤ王クロスである.彼はリュディア王国を滅ぼし(前546年),小アジヤを4州に分割統治した.しかしマケドニヤのアレクサンドロス大王が前333年ペルシヤを打ち破った.その後,アッタリド,カパドキヤ王国などが起こったが,前133年,ローマ帝国が全小アジヤを制覇して新約時代を迎えることになる.
20世紀の初め,ボガズコイ(現在のトルコの首都アンカラの東の高地)で,約2万枚にも上る楔形文字の文書板が発掘され,ヒッタイトの文明が明るみに出てきた.1905年の発見に続く1906年の組織的調査で,ヒッタイト王国の膨大な廃墟が発掘された.ヒッタイトの宗教は,雷神を主座とする多神教で,そのほか万物の生成と生命を象徴する母神宗教が小アジヤ地方には根強い.そのほかペルシヤが支配した頃からミトラ教,ローマ支配のもとでの皇帝礼拝など,小アジヤでは異教,異端がしばしば盛んになり,それが新約時代以降,この地方の主要都市でいくつかの有名な教会会議の開かれるもととなった.
⒉新約時代の小アジヤ.これについてはローマ帝国の行政区画に従って州別に述べていく.時によっては,ある州が他の州に吸収合併されたり,拡大縮小しているので所属都市名に異同があると思われる.
⑴アジヤ.新約聖書で「アジヤ」ということばは,以下に記すように,小アジヤの北西部を占めるローマの一つの州を指している.前2世紀の初めローマに征服され,前133年にローマの州として組織された.この州は,広く言えば後述のムシヤ,リュディア,カリヤを含み,ロドス,パトモスなどエーゲ海諸島を含んでいた.前116年には,大フルギヤをも加えるに至っている.北東にビテニヤ,東にガラテヤ,南にルキヤが隣り合っている.ローマの州の中では最も富んでおり,キケロは「その土壌の豊かさにおいて,その産物の種類,牧草の範囲,輸出の量において,アジヤは他のどの地方にも劣らない」と語っている.鉱物や木材にも恵まれていたと言う.宗教は母神宗教ディアナ(ギリシヤ風に言えばアルテミス)礼拝,皇帝礼拝,またヒッタイト的儀式などで,文化,言語はギリシヤ的であった.
パウロは,第2回伝道旅行で南ガラテヤ地方の伝道の後,このアジヤの伝道を志したが,聖霊に禁じられた(使16:6).しかし,ほどなくアポロがこの地方を訪れて伝道し(使18:24以下),パウロもまた,第3回伝道旅行では中心地エペソに腰をすえて伝道した(使19:8以下).その2年3か月の宣教で,アジヤに住む人すべてに主のことばが伝えられたとある.
当初首都はペルガモであったが,皇帝アウグストゥスの時(前27年―紀元14年在位),エペソに移った.ヨハネの黙示録の7つの教会はこの州に含まれている.
a.エペソ.前7世紀のイオニア人の植民地.ペルシヤの征服,マケドニヤの支配を経て,前190年頃ローマの統治下に入った.シリヤのアンテオケ,エジプトのアレキサンドリヤと並ぶ東地中海3大都市の一つ.最盛時の人口は25万人.カイステル河口の港湾都市で,商業で栄えた反面,皇帝礼拝やアルテミス礼拝のもたらす退廃的で淫蕩な町としても聞こえた.パウロの伝道のほか,テモテが後に牧会し,ヨハネもここで長く伝道した.
b.スミルナ.ヨハネの黙示録の7つの教会の中では,現在なお廃墟とならずに繁栄を続ける唯一の都市.現在名はイズミル.トルコ第3の都市で,人口は64万.エーゲ海に面した,自然の良港に恵まれた近代的港湾都市である.前11世紀にはイオニア人の植民都市であり,前6世紀リュディア王によって壊滅したが,約300年後に新都市が再建された.「死んで,また生きた方」(黙2:8)としての主キリストの語りかけがなされた.
c.ペルガモ.この町は大変古くからある町である.前3世紀半ばから前2世紀前半にかけて,ペルガモ王国の繁栄した頃,すぐれた学者,芸術家が集まり,文化都市を形成した.後に復活の主から「サタンの王座」(黙2:13)と呼ばれたゼウス大祭壇が,ガリヤ人に対する戦勝記念として築かれたのもその頃であった.市の郊外にはアスクレピオス神殿の遺跡がある.これは古代における治癒神である.また,アテネに匹敵するアクロポリスがある.そのほかペルガモは,羊皮紙で有名である.
d.テアテラ.先の3つの都市,エペソ,スミルナ,ペルガモのような大都市ではなく,皇帝礼拝の神殿もない平凡な町.だがアジヤを縦断する幹線道路を守るため,ペルガモの前哨地として重要であった.前哨地としての価値が失われた後は,商工業都市として,同業組合(ギルド)が組織されるようになった.毛織物,染色,皮革,銅細工などがおもであった.テアテラ市の紫布商人ルデヤ(使16:14)などはその代表的な人物であろう.黙2:20の誘惑は,ギルドの宴会でのことであろう.町の守護神はテュリムノスという太陽神である.
e.サルデス.アナトリア高原の西部に位置する都市.前6世紀,エジプト,新バビロニヤ,メディヤと並ぶ4国分立時代の雄リュディア王国の首都であった.東洋と西洋をつなぐ商業の交差点で,ペルシヤ時代は総督駐在地であった.難攻不落のアクロポリスを持っていたが,クロエソス王が油断して,ペルシヤ王に破れた.皇帝礼拝の記念跡や,巨大なイオニア式のアルテミス神殿跡がある.
f.フィラデルフィヤ.現在はアラシェヒル(「赤い町」という意味)と呼ばれ,人口2万の中都市.サルデスの南東45キロ.東部奥地に対してギリシヤ思想を普及する目的で,文化の門,開かれた戸として建てられた.地震の頻発する小アジヤ地方でも特にフィラデルフィヤは紀元17年,19年,23年と相次ぐ大地震を経験している.それらの地震の後,皇帝ティベリウスが再建してくれたことに感謝して,一時ネオ・カイザリヤの名で呼ばれた.その後一時フラヴィアと呼ばれ,そしてまた元のフィラデルフィヤに戻った.
g.ラオデキヤ.内陸の都市.リュコスの谷を隔てて相対する所にヒエラポリスがあり,パムッカレ(綿花城)の丘の上に建てられていた.その丘の上にわく温泉から出る多量の炭酸石灰水が,ちょうど鐘乳洞と同じように,流れ落ちる断崖の岩上に凝結して,白色の(綿花のような)水盤段丘を造っている.石灰岩の厚さは,それぞれ5―7メートルにもなっており,その温泉の水が,いわゆる「熱くも冷たくもないので……吐き出そう」(黙3:16)と言われたものであろう.エーゲ海とユーフラテス川を結ぶ幹線道路上にあって裕福な金融,財政の都市.トリミタと言われる羊毛の産地で,コルリオン眼薬で有名な医学校があった.
以上の7つのほかに,ラオデキヤの近くにあって協力し合う教会のあったヒエラポリス,コロサイもアジヤの主要都市である.
なお,パトモス島については,エーゲ海南東スポラデス群島に属する小島.南北16キロ,東西9キロ,三日月形である.ドーリア人,イオニア人の植民地として開かれ,ローマ時代は流刑の地であった.現在の人口は2500くらいである.海綿採集とわずかな耕地に小麦,ぶどう,野菜を栽培する.皇帝礼拝の盛んな紀元1世紀末,使徒ヨハネが神のことばとイエスのあかしのゆえに(黙1:9),この島に流された.ヨハネの幽閉された洞窟は標高200メートルの山腹にあり,東方には対岸にミレト,さらにはエペソがある.
⑵ビテニヤ・ポント.黒海沿岸に,小アジヤの北西からビテニヤ,その東にポントが細長く東西に走っている.前74年まずビテニヤがニコメデス4世によってローマに寄贈され,前63年征服されたポントを合わせて一つの州となった.使16:7では,パウロがビテニヤに向かおうとして聖霊に禁じられている.ペテロが後にこの地方の信者に手紙を書いている(Ⅰペテ1:1).使2:9の巡礼者の回心が,この地方のキリスト教の始まりとは断言できないが,早くから伝道はなされていたらしい.肥沃な農業地帯で,ぶどうを産し,森林も豊かであった.都市としては,後に教会会議開催の地としてのカルケドン,ニカイア,ニコメディアなどがある.人物としては,パウロの伝道を助けたアクラ(使18:2)がビテニヤの出身,後には異端者マルキオンがポントの出であった.
⑶カパドキヤ.紀元17年にローマの州となった,東小アジヤの大きな州.大都市の少ない荒れた山岳の地.使2:9に,この地からの巡礼者が出てくる.紀元1世紀の終わり頃,キリキヤからカパドキヤ,ポントに通じる道に沿ってキリスト教は発展したらしく,その地方の教会に,ペテロが手紙を書いている(Ⅰペテ1:1)
⑷カリヤ.小アジヤ南西の小さい県.前129年頃,ローマの州となった.第3回伝道旅行の帰途,パウロ一行は次の地に立寄っている.a.ミレト.メアンデル河口付近にあった港町.小アジヤ最大の円形劇場があった.b.コス.カリヤ沖合のギリシヤ群島の一つ.医神アスクレピオスの神殿がある.c.ロドス.エーゲ海諸島のうちで一番東寄りの島.カリヤの沖にあった.長さ72キロ,幅32キロ.沿岸貿易の商業路接合点で,アレキサンドリヤ,カルタゴに匹敵する商業都市であった.
⑸キリキヤ.小アジヤの南東海岸に面した地方.地中海に面した地方は岩が多く険しい.この地方には小さいが数多くの良港がある.木材とやぎの毛を産し,そこから,この地方出身のパウロが手がけた天幕作りなどが盛んであった.交通は便利で,有名なキリキヤの峡門と呼ばれる峠があり,ユーフラテス地方から小アジヤへ向かう隊商は,タルソから,その峡門を通り,タウロス山脈を越えて行った.
前2千年期,ヒッタイトの時代には独立国であったようであるが,その後アッシリヤ,ペルシヤ,ギリシヤと,多くの支配を受ける時代を経て,前69年ローマに征服され,前67年タルソが首都となった.タルソは現在のトルコ南部の町テルソオで,使徒パウロの出生の地(使9:11等).地中海から約16キロ内陸,キリキヤ平原を流れるキドヌス川のほとりにあった.北方48キロに標高3587メートルのタウロス山脈が控えている.パウロが第2回伝道旅行でここを通ったのは,山の雪解けの6月初めであったろうとされる.前170年以降,著しくヘレニズム化が進み,ローマ時代の人口は50万を数え,海外に向かって開けた都市であった.商業のみでなく,学府としてアテネ,アレキサンドリヤに次ぐ位置を占めていた.土着の宗教も盛んで,ミトラ教のような神秘宗教もあった.
⑹ガラテヤ.小アジヤの中央北部地方で前280年頃,西ヨーロッパのゴール地方にいたケルト人,ゴール人の一部が移動,定住した.語源的にはインド・ヨーロッパ語族であったが,ガラテヤ人と呼ばれるようになった.前25年にローマの州となった.後,本ガラテヤを中心に南のルカオニヤ,イサウリヤ,ピシデヤ,フルギヤをも包含し,時と共にさらに他の地域も加えていった時期があり,カパドキヤ,アルメニヤまで吸収した時には,往時のヒッタイト帝国に匹敵するほどであった.
⑺ルカオニヤ.小アジヤの中南部地方.起伏に富んだ高原台地で,水に乏しく,塩分が多く,樹木は少ない.しかし羊の牧畜に適した草木には不自由しなかった.野性的,好戦的なルカオニヤ人は,ペルシヤの支配から自由であり,セレウコス王朝のギリシヤ化に対してもなじまず,ルカオニヤ語が用いられていた(使14:11)
a.ルステラ.幅1.6キロの渓谷平原に建てられていた.現在はカティン・セライと呼ばれる一寒村の北西にある丘に古跡をとどめている.第1回伝道旅行でバルナバとパウロが伝道すると,人々は2人をゼウスとヘルメスに見立てて,いけにえをささげようとした(使14:8‐18).パウロはこの後,外から来たユダヤ人たちに石打ちにされた.この町はテモテのふるさとでもあり,第2回伝道旅行の時,パウロはここに立ち寄り,彼を連れていった.イコニオムから1日路,シリヤのアンテオケから4日路と言われる.
b.デルベ.ルステラの南東48キロ.ゾスタの北西5キロの平原にあるグデリッシンの丘が古跡.第1回,第2回の伝道旅行でパウロたちが訪れている.ガイオという人物の出身地(使20:4)
c.イコニオム.古くから栄えた町.現在はトルコのコニヤ.乾燥した高原地で,オアシスのある肥沃な地.果樹園があり,小麦,亜麻,羊毛織物の産出で知られる.ルカオニヤ地方の首都で,エペソ,ローマへ通じる要路にあった.第1回伝道旅行で長らく滞在し(使14:3),Ⅱテモ3:11にあるように反対にあって,パウロの一行は南40キロのルステラに逃れた.第2回伝道旅行の時もパウロが立ち寄っている(使16:1‐3)
⑻ルキヤ.小アジヤの南西にある山岳地帯.肥沃な平原と水流を持ち,政治的,文化的にもすぐれた都市がある.紀元43年,ローマの州となった.
a.パタラ.ルキヤの主要海港.クレテ島出身のドーリア人が開拓した植民地.第3回伝道旅行の帰路,パウロ一行が立ち寄った(使21:1)
b.ミラ.地中海から約3キロ内陸で,内奥の山地へ通じる峡谷入口の崖の上に建てられた.ローマに向かう囚人パウロらは,この港で船を乗り換えた(使27:5‐6).これらの海港は,外地に住むユダヤ人が巡礼の時に,またアレキサンドリヤの穀物船が北方,西方へ出かける時に用いられた天然の寄港地であった.
⑼リュディア.小アジヤの南西海岸にあった.川が多く,肥沃で気候は温和であり,美術,工芸,冶金,織物などにすぐれていた.前133年ローマに贈られ,ムシヤ,フルギヤ,カリヤなどと共に,アジヤ州の一部をなしていた.古くから,ユダヤ人社会があった.おもな都市として,テアテラ,サルデス,フィラデルフィヤがある.キリスト教は早くから伝えられ,成果を上げていた.
⑽ムシヤ.小アジヤの北西端を占める.それほど広くなく,肥沃でもない.前133年ローマのアジヤ州とされた.第2回伝道旅行でパウロはアジヤに行くことを禁じられ,ムシヤに面した所で再度ビテニヤ行きを許されず,ムシヤを経由してトロアスに下り,ヨーロッパへ渡った(使16:6‐10)
a.トロアス.アジヤとマケドニヤを結ぶ重要な海港.現在ではトルコ領エスキ・スタンブールの古跡.有名なトロイの南約20キロ.前310年に建てられ,神殿,劇場,浴場,導水橋の遺跡がある.ここでパウロは「マケドニヤ人の叫び」を聞いた(使16:9).トロアス伝道は,第3回伝道旅行で門戸が開かれた(Ⅱコリ2:12).帰路ここに立ち寄っている(使20:5‐6).ルカはトロアスの開業医とも言われる.
b.アソス.ムシヤの古都.アドラミテオ湾沿いの丘の上にあった風光明媚な町.パウロがルカたちの一行と落ち合った所(使20:14).長さ3キロの城壁に囲まれ,アクロポリスにはドーリア式神殿がある.
c.アドラミテオ.ムシヤの港,囚人パウロがローマへの旅で,ここの船に乗った(使27:2)
d.ミテレネ.元来,小島で,2つの良い港を持つ.気候は温和で,ぶどう,オリーブ,小麦の産地.アソスから48キロ.第3回伝道旅行の帰路,パウロが立ち寄っている(使20:14).このほか前述のペルガモがある.
⑾パンフリヤ.小アジヤの南海岸地方で,長さ約130キロ,幅32キロに広がる.前2世紀にユダヤ人が居住し,紀元43年にルキヤと合併されてローマの州となった.大部分の地が低く,雨も多く,マラリヤの発生しやすい沼沢地である.第1回伝道旅行でパウロ,バルナバが訪れている(使13:13‐14).若い同伴者マルコがつまずき(使15:38),彼らは早々に引き揚げてピシデヤのアンテオケに進んでいる.そして帰途もう一度立ち寄った(使14:24‐25)
a.ペルガ.パンフリヤ州の首都.現在はトルコのムルタナ.ケストロス川の河口から12キロ内陸の平原.町の北部にアルテミス神殿があり,異教的色彩が濃かった.3千人を収容する劇場跡もある.ピシデヤのアンテオケまでは,タウロス山脈を越えて160キロの旅である.
b.アタリヤ.小アジヤ南岸の最大の良港で,美しい景観の町.アジヤからシリヤ,エジプトに向ける要港で,シリヤのアンテオケまで海路560キロである.
⑿フルギヤ.長く外国の支配に従属したが,ホメロスの「イリアス」の中で,フルギヤ人の活動力が評価されている.ギリシヤ語が用いられ,宗教はキベレ母神と太陽神が礼拝されていた.ローマは大フルギヤを二分し,一方をガラテヤ州に,他をアジヤ州に入れた.おもな町としては,コロサイ,ヒエラポリス,ラオデキヤがある.パウロが第2回伝道旅行でこの地方を通り(使16:6),第3回伝道旅行でも再び通っている(使18:23)
⒀ピシデヤ.前25年ローマの州となった.小アジヤ全体の中では南部で,パンフリヤの北に当たる.ピシデヤのアンテオケは,前300年セレウコス・ニカトルによって創設され,シリヤのアンテオケと区別するために,州名をつけて呼ばれる.古代アンティオス川に沿う健康的な高台地で,今日トルコの町ヤルバッチュの付近に古跡がある.前189年からローマ人により自由都市になり,ヘレニズムの町として知られた.南ガラテヤの軍事および政治の中心地で,肥沃の神メーン礼拝の地である.
第1回伝道旅行の時,この地のユダヤ人の反対にあい,パウロは異邦人の方に行くことになった(使13:14‐51).イコニオムまでは100キロの道のりで,Ⅱコリ11:26‐27の盗賊の難は,その山岳地での経験と思われる.
〔参考文献〕永田雄三編訳『世界の教科書=歴史』トルコ1,2,ほるぷ出版;立田洋司『古代アナトリアの遺産』近藤出版;『みりおーね世界史事典』6,アジアⅠ,講談社.(下川友也)

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1728頁 定価6,900円+税