《じっくり解説》イエス・キリストとは?

イエス・キリストとは?

イエス・キリストとは…

イエスはヘブル語名ヨシュア(イェホーシューア、後にイェーシューア)のギリシヤ語形イエースースで、「主は救い」の意味。キリストはヘブル語のメシヤ(マーシーアハ)のギリシヤ語訳クリストスで、「油注がれた者」の意味。『旧約聖書』の時代、神から任じられた王や祭司、預言者は油を注がれた。やがて「油注がれた者」は救い主を意味するようになった。したがってイエス・キリストは「キリスト=救い主であるイエス」という意味である。

誕生と少年時代

紀元前37年以降パレスチナを治めていたヘロデ大王が紀元前4年に死んだ。イエスが生まれたのはその少し前のことである。
母マリヤと養父となるヨセフはガリラヤ地方のナザレという村に住んでいた。彼らはまだ婚約中であったが、神の霊によって子が生まれることを天使から知らされた。
その後ローマ皇帝アウグストゥスの命で人口調査が行われた。ヨセフは臨月を迎えたマリヤを連れて、出身地ベツレヘムに行かなければならなかった。その旅先でイエスは生まれ、飼葉桶に寝かされることになった。
ナザレにいったん戻り、改めてベツレヘムに移り住んだ彼らを訪ねて、東方から天文学者がやって来た。天体の異変から「王」の誕生を知ったという。そのニュースを猜疑心の強いヘロデは聞き逃さず、幼児の殺害を図った。しかし、イエスは危ういところでその手を逃れ、エジプトに逃れたのである。
まもなくしてヘロデは死んだ。エジプトから戻ったイエスの家族は、比較的安全なガリラヤに退き、ナザレで暮らすことになった。
少年イエスは家庭では両親から、会堂では教師たちから律法(『旧約聖書』)を学んだ。大工の技術もヨセフから習得した。祭りには同郷の者たちと毎年エルサレムに上ったことだろう。
12歳の年の過越のこと、イエスは神殿で教師たちと論じた。彼らはその知恵に驚いた。そのときすでに、彼は神を自分の「父」として強く意識していたようである。

公生涯のはじまり

イエスが活動を開始したのは30歳の頃である。当時洗礼者ヨハネが人々に罪の悔い改めを説き、ヨルダン川で洗礼を授けていた。そのヨハネから彼もまた洗礼を受けた。
水から上がったイエスは、天が開け神の霊が自分の上に鳩のように降って来るのを見た。それとともに「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」という声を聞いた。
それからイエスは聖霊に導かれて荒野に行き、悪魔の試みを受けた。「お前は神の子なのだから、この石がパンになるように命じよ」。
魅力的な提案である。自らの飢えが解決できる。貧しい者たちも救える。しかし、彼はそれを拒否した。パンも大切だが、パンを与えてくださる神との関係はもっと重要である。パンさえあれば幸せになれるということではない。パンの供給でメシヤとしての使命が達成できるわけではない。イエスはそう考えた。

ガリラヤでの活動

洗礼者ヨハネが領主ヘロデ・アンティパスに捕らえられたとき、イエスはガリラヤで活動を開始した。「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」。
神の国。ユダヤ人にとって、それは神がローマ人を追い出し、直接支配することである。しかし、ローマ軍は依然として駐留している。それなのにイエスは神の国の到来を宣言する。悪霊の追放、病人や障害者の癒しに神の国の到来のしるしがある。神の国は恵みとして与えられる。だから神の前にへりくだり、信仰をもって受け入れるよう彼は求めたのである。
大勢の群衆が各地から集まって来た。イエスの語る福音=喜びの報せを聞くために。また癒されることを願って。

教師としてのイエス

イエスは優れた教師であった。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」「何事でも自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにせよ」といった教えは、「山上の説教」に美しくまとめられている(マタイの福音書5〜7章)。
彼の教えは「ねばならない」という律法ではなく、恵みの宣言である。「心の貧しい者は幸いだ」。神は心砕かれへりくだった者とともにある。だからイエスは、自分の義を誇れずただ神にすがる以外ない取税人、罪人、遊女らと積極的に関わった。
イエスは、天の父である神を単純に信頼すること、神と隣人を愛することの大切さを教えた。その一方、安息日や清めの規定など律法の細かい規定を相対化した。規定にこだわって大切なものを見失っているパリサイ人、律法学者たちを批判しさえした。そのために彼らの反発を招くことになった。
それでもイエスは妥協しない。罪の赦しを宣言し、律法の根源的な意味を説き明かす。「まことにわたしは言う」と語るイエスの言葉には権威があった。
イエスにはまた知恵があった。神の国の深遠な真理を日常生活の身近な現実にたとえた。婚礼、労働、農耕、牧畜、商売、旅、家庭生活、父と子の関係。あらゆることがたとえの材料となった。たとえば「放蕩息子のたとえ」は悔い改める者を無条件に赦す神の愛の大きさを、「よきサマリヤ人のたとえ」は隣人を愛することの意味を、美しく描いている。

奇蹟行為者としてのイエス

イエスはまた多くの奇蹟を行った。とくに癒しの奇蹟が目立つ。熱病、ツァラアト(ハンセン病より広い範囲の皮膚病)、中風、血の流出、水腫、なえた手足、視覚障害、聾唖、てんかんなどを癒した。また蘇生した者も3人いる。ほかに悪霊追放もある。さらには「自然奇蹟」もある。ガリラヤ湖の嵐を静めたり、弟子たちに大漁をもたらしたり、何千人もの群衆をわずかのパンや魚で満腹させたのである。
奇蹟は神の国が到来していること、イエスがメシヤであることを明らかにするものであった。また弱い者に対する神の憐れみを表現するものであった。しかし、類似の奇蹟物語に比べて福音書ははるかに控え目である。イエスは自分の力を誇示したり、奇蹟を売り物にしたりはしなかった。

弟子たちを育てるイエス

イエスがとくに多くの力を注いだのは弟子たちである。彼は弟子の中から特に12人を選び使徒とした。それは、イスラエルの12部族に代わる新しい神の民の創出を象徴している。
使徒たちは決して特別な人間ではなかった。イエスの教えを誤解したし、プライドも野心もあった。虚勢を張るが臆病だった。そうした彼らを、寝食をともにしながらイエスは教え育てた。しかし、決定的な変化は復活したイエスに出会い、聖霊を受ける体験をするまで待たなければならかなった。そのとき彼らはようやくイエスの働きの継承者となったのである。

北方での活動

「あなたこそ、生ける神の御子キリストです」。北のピリポ・カイザリヤ地方で、弟子たちははじめて公にイエスをメシヤと告白した。そのときからイエスは、自分がエルサレムで苦しみに遭い殺されると予告しはじめた。
栄光のメシヤが殺されるはずはない。そう考えたペテロはイエスをいさめた。「お前はサタンの手先になっている」。ペテロに対するイエスの答えは実にショックである。
数日後イエスは3人の弟子とともに山に登った。そこで彼は姿変わりをし、栄光に輝いた。しかも、旧約時代のモーセとエリヤが現れて、イエスがエルサレムで迎える最期について語り合ったのである。驚き恐れた弟子たちは、さらに「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け」という天の声を聞いた。彼らは苦難に遭うイエスが、それでもメシヤであることを受け入れるよう求めたのである。
それから彼らはエルサレムに向かった。

エルサレムでの十字架

ヨルダン川を南下。エリコから山道を登りイエスの一行はベタニヤ村に着いた。そこでイエスは、死んで4日経っていたラザロを蘇生させた。その後ロバに乗ってエルサレムに入城すると、過越の祭りに集まって来た群衆は歓声を挙げてイエスを迎えた。そのため、彼と対立してきたパリサイ派の長老たちは、「もはや猶予はならない、自分を神とするこの男を何としても殺さなければならない」と、決意を固めた。
サドカイ派もまたイエスに脅威を感じていた。彼らの利権の巣であるエルサレムの神殿で、彼が商売人たちを追い出したからである。
こうして指導者階級はイエスを捕らえ、殺すことで一致した。そこに十二使徒の一人イスカリオテのユダが内通者として現れた。
ユダヤ人の最大の祭り、過越の祭りの日が来た。イエスは弟子たちと記念の食卓を囲んだ。その席でイエスは「わたしのからだだ」と言って裂いたパンを渡し、また「罪の赦しのために流されるわたしの契約の血だ」と言ってぶどう酒の杯を与えた。
子羊の血によって神の怒りのさばきから免れ、自分たちを奴隷として酷使したエジプトの桎梏から解放されたことを記念する過越を、ユダヤ人は祝ってきた。しかし今や、人の罪をあがなう犠牲としてイエスの体が捧げられ、イエスの血が流される。それによって、神が預言者エレミヤをとおして約束した新しい契約が実現するというのである。
食事の後イエスはゲツセマネの園に行き、祈った。捕らえる者たちがユダに先導されてそこに現れたのは、夜もだいぶ更けてからのことである。弟子たちは闇にまぎれて逃げた。イエスは大祭司カヤパの官邸に連行された。
カヤパを議長とするユダヤ人の宗教議会は、イエスは神を冒とくする者として死罪、という判決をくだした。しかし、ローマの支配下にある彼らに処刑の権限はない。そこで彼を総督ピラトのところに連れて行き、ローマに反逆を企てる政治犯として訴えた。
イエスがそのような危険人物でないことを知っていた総督は釈放しようとした。けれども、彼らは引き下がらなかった。暴動になることを恐れたピラトは、結局イエスを十字架刑に処することを認めたのである。
イエスは鞭打たれ、ゴルゴダ(どくろ)と呼ばれる刑場に引かれて行き、処刑された。死体は、議員の一人アリマタヤのヨセフ所有の新しい墓に葬られた。金曜日の夕方、まもなくユダヤ人の安息日がはじまろうとしていた。

復活

イエスの葬りを見届けた女の弟子たちは、日曜日の朝、死体に香料を塗るために墓に来た。そしてイエスの死体がなくなっていることに気づいた。死体はたしかになかった。
何が起こったのか。その理由を最初に知らされたのも女性たちであった。天使の顕現に接し、恐ろしさのあまり墓から逃げ出した女性たちは、突然「おはよう」と言って姿を現したイエスに会った。また墓に残って泣いていたマグダラのマリヤも、「マリヤ」と呼ぶイエスの声を聞いた。女たちは嬉しさのあまりイエスの足にすがりついたのである。
「そんなばかなことを」と男たちはとりあわなかった。しかし、彼らにもイエスは現れた。エマオ村に向かう2人の弟子に同行した。エルサレムの一室で10人余りの弟子に現れ、魚を食した。最後まで疑っていた使徒トマスも傷の残るイエスの手足を見た。ガリラヤ湖畔ではイエスの焼いた魚をともに食したのである。
復活したイエスに会って弟子たちは変わった。臆病な彼らが死を恐れない宣教者となった。
聖書が教えるイエスの生涯は、このようなものである。こうして、人の罪をあがなうために十字架で死に、しかも復活したイエスを救い主とするキリスト教が誕生したのである。
(出典:内田和彦『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 118-129p)

聖書人物伝
千代崎秀雄、鞭木由行、内田和彦、杉本智俊、岸本紘 共著
224頁 定価1,800円+税
いのちのことば社