《5分でわかる》トマスとは?

トマスとは?

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トマスとは…

英語で一般的な名前に「トム」があるが、これはイエスの弟子「トマス」の略である。元来懐疑的な人間だったが、復活のイエスに出会い、生涯をかけた宣教師になった。

冷静かつ悲観的性格

トマスはイエスの十二弟子の一人だったが、イエスが復活して弟子たちの前に現れたとき、そこにいなかった。興奮しているほかの弟子たちに対し、彼は冷ややかに言ってのける。「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」(「ヨハネの福音書」20章25節)。
このトマスの反応は合理的だと言われることもあるが、むしろ悲観的であるように思える。ほかの弟子たちの言っていることをよく聞こうとしているわけでも、冷静に分析しようとしているわけでもない。ただ、頭ごなしに否定してかかっている。ある意味で、ほかの人にだけキリストが現れて、自分にはわからないのが癪であるかのようである。ほかの人が喜んでいる姿を見ると、苦言の一つも言ってみたくなるような心境だったのではないだろうか。
実際トマスは、普段から物事を悲観的に考える性格をもっていたようだ。あるときイエスは、人々がイエスを捕まえようとして待っているのにエルサレムに行こうとした。すると、トマスは「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」と言っている。別にイエスは、そんなことを要求してはいなかった。またイエスが天国のことを語り、「わたしの行く道はあなたがたも知っています」と言うと、トマスは「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう」と反論している。どうもトマスには物事を斜めに構えて考えるクセがあったようである(「ヨハネの福音書」11、14章)。

インドへ渡って殉教

しかしイエスは、ほかの弟子たちに現れて8日目、弟子たちと一緒にいたトマスに現れた。そして「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われた(「ヨハネの福音書」20章27節)。トマスは、指を釘の跡に入れるまでもなく言う。「私の主。私の神」。
このトマスの姿は、人の話を斜めから聞いているだけでは、本当の意味でイエスを理解できないことを示しているのではないだろうか。素直に正面からイエスと向き合うとき、人はその出会いの感動で変えられるのである。その後のトマスの歩みはよく知られていないが、伝承によると、キリストの福音を携えてインドに渡り、殉教したと言われている。
(出典:杉本智俊『聖書人物伝 これだけは知っておきたい127人』フォレストブックス, 2013, 178-179p)

聖書人物伝
千代崎秀雄、鞭木由行、内田和彦、杉本智俊、岸本紘 共著
224頁 定価1,800円+税
いのちのことば社