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《5分で分かる》レハブアムとは?

レハブアムとは?

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レハブアム…

([ヘブル語]rehabʽām,[ギリシャ語]Rhoboam) 「民は増え広がった」という意味であると思われる.アモン人ナアマとソロモンの間に生まれ,41歳で即位し,南王国ユダのエルサレムで17年間(前930―913年)王位にあった(Ⅰ列14:21,Ⅱ歴12:13).彼の治世の初期に統一王国は終わりを告げ,王国は2つに分裂した.ソロモンの死後,レハブアムはシェケムに行ったが,そこで北部の諸部族からも王として迎えられた(Ⅰ列12:1).しかし,北部の代表者から,過酷な労働と重いくびきを軽くしてくれるよう求められた時(Ⅰ列12:4,Ⅱ歴10:4),レハブアムは3日間待つよう返事をし,まず長老たちに相談した(Ⅰ列12:6以下).長老たちは,北の代表者の願いを受け入れるよう勧めたが,レハブアムは,それを快しとせず,次に同年代の若者たちに相談し,彼らのことばに従って代表者に荒々しい返事をして,その願いを聞き入れなかった(Ⅰ列12:8‐15).その結果,北の部族は,「ダビデには,われわれへのどんな割り当て地があろう.……イスラエルよ.あなたの天幕に帰れ」(Ⅰ列12:16)と答えて,ソロモン王生存中はエジプトへ逃れていたネバテの子ヤロブアムが帰ってきたのを機会に,彼を自分たちの王とし,王国は分裂した(Ⅰ列12:18‐20).それ以来,レハブアムとヤロブアムの間に長い戦時体制が続き(Ⅰ列12:21,15:6,Ⅱ歴11:1,12:15),再統一はついに成功しなかった.それだけでなく,国内で北と南が争うことによって国力は衰え,近隣の国々が独立の動きや攻撃の動きを示すようになったため,レハブアムは防備の町々を建てなければならなかった(Ⅱ歴11:5‐11).特に,レハブアムの治世の第5年にエジプトのシシャクが攻め上ってきて(Ⅰ列14:25‐28,Ⅱ歴12:2‐4)防備の町々を攻め取り,主の宮の財宝までも奪い取られる始末であった.シシャクの征服記録によれば,遠征はユダだけでなく北王国イスラエルにも及んでいる.
レハブアムはエルサレムの町の北に出向いてシシャクに会い,貢ぎ物と引き換えにエルサレムの占領を免除してもらったらしい.聖書は,このことをレハブアムが主の前にへりくだったからであると記している(Ⅱ歴12:12).
ユダヤ教の伝説では,ダビデは神がアモン人の婦人,モアブ人の婦人との結婚を許可したことに対し神を賛美したと伝え,それは,ダビデがモアブの婦人ルツの子孫であり,レハブアムがアモンの婦人ナアマの子であるにもかかわらず,イスラエルの会衆に加えられたからであると言う.またユダヤ教のラビたちはレハブアムの例から,王は民のしもべであって支配者ではないという教訓を強調した.彼の名はイエスの系図に出てくる(マタ1:7).

(出典:富井悠夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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