《5分で分かる》ラオディキアとは?

ラオディキアとは?

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ラオディキア…

(新共同訳)([ギリシャ語]Laodikeia) 「国民の義」という意味.小アジヤ西部,フルギヤ地方の主要都市の一つで,メアンデル川の支流リュコス川に面した位置にあり,エペソの東150キロ,コロサイとヒエラポリスの近くにあった.前3世紀半ば,アンティオコス2世セオスが,それまでディオスポリスまたはロアスと呼ばれていた町を,ヘレニズム文化の中心都市として整備し直し,自分の妻のラオディケにちなんでラオデキヤと改名した.ヨセフォスによれば,アンティオコス3世が多くのユダヤ人をフルギヤ,リュディア地方に移住させ,この町にもかなりのユダヤ人が住むようになったと考えられる.前1世紀にはこの地方のユダヤ人は宗教の自由を保障され,エルサレムへ献金を送ることも許されていた.
その後一時ペルガモ王国の支配下に移ったが,前133年以降ローマの支配下に入り,エペソからシリヤへ至る通商路に沿っていたこともあって,商業都市として発展した.またラオデキヤは金融都市としても知られ,その経済力は前60年の大地震で町が崩壊した時,市民だけの富で復興したほど豊かであった(参照黙3:17).この町はまた,黒羊毛と毛織物の産地としても有名であり(参照黙3:18),郊外のアットゥダの町で生産されていた「フルギヤの粉末」と呼ばれる目薬でも知られていた(参照黙3:18).
新約聖書の時代,ここには早くから,パウロとかかわりの深い教会があったが,パウロ自身によってではなく,彼の弟子エパフラスがコロサイ,ヒエラポリスと共にこの町の教会の基礎を築いたと考えられている(コロ1:7,2:1,4:12‐13,15).パウロはラオデキヤの教会へ手紙を書いたが(コロ4:16),その手紙がエペソ人への手紙であると考える者もいる.また,ヨハネの黙示録が書かれた時代(紀元90年代)には,使徒ヨハネがこの地方の7つの教会と深いかかわりを持ち,この町の教会へも手紙を送っている(黙1:11,3:14‐22).これによると,当時のラオデキヤの教会は霊的に非常に生ぬるい状態にありながら,自分たちのあわれな現状には全く気づいておらず,イエスが教会の外に立っておられると言われるほど信仰的に堕落し,悔い改めが必要な状態にあったことがわかる.
この町には4世紀までフルギヤの司教座がおかれていたが,中世に入ってからイスラムとの戦いで破壊された.現在のエスキ・ピッサルという小村(トルコのデニズリの西)がラオデキヤに当たると考えられている.

(出典:後藤喜良『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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