《5分で分かる》ヨラムとは?

ヨラムとは?

スポンサーリンク

ヨラム…

⒈([ヘブル語]yôrām, yehôrām,[ギリシャ語]Iōram)「主は高い」あるいは「主は高められる」という意味.⑴ハマテの王トイの子で,ダビデがハダデエゼルの全軍勢を打ち破った時に,父のトイから祝福のことばをもって遣わされた(Ⅱサム8:9‐12).ヨラムは銀の器,金の器,青銅の器をダビデのもとへ持って行った.Ⅰ歴18:10ではハドラムとなっている.
⑵北王国イスラエルの王.アハブ王の第2子であったが,兄アハズヤが男の子がなくて死んだので,南王国ユダの王ヨシャパテの第18年に王となり,12年間治めた(Ⅱ列3:1).彼は父が造ったバアルの石の柱を取り除いたが,ヤロブアムと同じ罪を犯し続けていた.アハブの死後,モアブの王メシャがイスラエルに背いた時,ヨラムはユダの王ヨシャパテとエドムの王の援軍を得て攻め上った.しかし,飲み水がなくなってしまい,預言者エリシャのことばによって水を得た.その水に太陽が映って赤く見えたので,モアブの軍隊はそれを血と見間違え,王たちが同士打ちをしていると思い,イスラエルの陣営に攻め上った.しかし,逆に打ち破られてしまった(Ⅱ列3:9‐27).考古学資料として有名なメシャ碑文(モアブの碑石)の内容はこの事件と関連があると一般に言われている.アラム(シリヤ)の将軍ナアマンがツァラアトを直してもらうために訪れた当時のイスラエルの王は不明であるが,おそらくヨラムであると考えられる(Ⅱ列5:5).またアラムの王は,預言者エリシャが自分たちの企てを知り,ヨラムに報告してしまうので,イスラエルに侵入することができなかった.エリシャの預言のゆえに,ヨラム王はアラムからの侵入を受けることがなかった(Ⅱ列6:8‐23).しかし,ベン・ハダデがアラムの王となって,再びイスラエルに侵入するようになり,サマリヤを取り囲んだため,サマリヤはききんに陥った.この時ヨラムは,預言者エリシャのことばに信頼しなかった(Ⅱ列6:24‐7:20).ヨラムは,アラムの王ハザエルと戦っていた時に傷を受け,それをいやすためにイズレエルに帰ってきた(Ⅱ列8:28‐29).ヨシャパテの子エフーは預言者エリシャを通して自分が王とされるということを聞き,ヨラムを弓で殺してしまった(Ⅱ列9:1‐26).ヨラムのからだはイズレエル人ナボテの所有地の畑に投げ捨てられた.こうしてオムリ王朝は終わり,エフー王朝が始まった.
⑶南王国ユダの王.ヨシャパテ王の子で,父を助けて世を治めていたが,イスラエルの王アハブの子ヨラム王の第5年に32歳で王となり,前853年頃から8年間治めた(Ⅱ列8:16‐19).彼はユダの王であったが,イスラエルの王のように罪を犯したと記されている.彼の妻はイスラエルの王アハブの娘アタルヤであった.彼が兄弟たちやイスラエルのつかさたちを殺したのはこの妻のそそのかしによると思われる(Ⅱ列8:18,Ⅱ歴21:1‐6).彼は主から離れ偶像に従っていた.彼の時代にエドムとリブナがユダの支配から独立した(Ⅱ列8:20‐22,Ⅱ歴21:8‐10).さらにペリシテ人とアラビヤ人がユダに攻め上り,王宮の全財宝を奪い,王の妻たちと子たちを奪い去り,末子のエホアハズしか残らなかった(Ⅱ歴21:16‐17).ヨラムはイスラエルの王に従ったので,その最後は主に打たれて内臓の病気になり,2年間苦しんだ後内臓が外に飛び出て死んだ(Ⅱ歴21:18‐19).彼の死を惜しむ者はなく,彼はユダの王たちの墓には葬られなかった.
⑷祭司の一人で,民に主の律法を教えるために,レビ人と共にヨシャパテ王から町々に遣わされた(Ⅱ歴17:8).
⒉([ヘブル語]yōrām) モーセの子エリエゼルに属する者(Ⅰ歴26:25).

(出典:上沼昌雄『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

新装版 新聖書辞典
定価6900円+税
いのちのことば社