《じっくり解説》ヨハネとは?

ヨハネとは?

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ヨハネ…

([ギリシャ語]Iōannēs) [ヘブル語]ヨーハーナーンのギリシヤ語形で「主は恵み深い」という意味.⒈ペテロの父ヨハネ(ヨハ1:42,21:15‐17).マタ16:17では,ペテロは「バルヨナ」(ヨナの子)と呼ばれている.ペテロがベツサイダの出身の漁師であったことから(ヨハ1:44),父のヨハネもベツサイダの人で,ガリラヤ湖の漁師であったと思われる.
⒉ユダヤ人議会(サンヘドリン)の議員ヨハネ(使4:6).民衆の間に急速に広まっていたイエスの教えに対する処置を講じるために召集された議会に出席した一人で,大祭司アンナスやカヤパと共に「大祭司の一族」と言われている.
⒊使徒ヨハネ.福音書において,ヨハネはゼベダイの子で,おそらく同じゼベダイの子ヤコブの弟であったと思われる.ルカの福音書と使徒の働き/使徒言行録を除いて,ヨハネの名はいつもヤコブの後にあげられている.ルカはペテロ,ヨハネ,ヤコブの順序で3人の名を並べているが,原始教会においてヨハネがペテロと結び合わされていたためと思われる(ルカ8:51,9:28,使1:13).ヨハネの母はサロメであったことが,マコ15:40,16:1およびマタ27:56から推測される.なぜなら,両者の記事に見られる3人の女性が,それぞれ同一人物であるとすれば,第3にあげられている「サロメ」が「ゼベダイの子らの母」と合致するからである.またサロメは,イエスの母マリヤの姉妹と見なされる.それは,ヨハ19:25に出てくる4人の女性のうち2人はマルコとマタイの記事に出てくる2人のマリヤと同じで,残りの2人が「イエスの母と母の姉妹」とあるからである.そうであるとしたら,ヨハネはイエスといとこということになる.父ゼベダイが舟を所有し,雇い人を使っていたところから(マコ1:20),わりあいに裕福な暮らしをしていたように思われる.サロメも自分の財産をもってイエスの伝道を助けた女たちの一人であった(マコ15:41,ルカ8:3).バプテスマのヨハネがイエスを指して「見よ,神の小羊」と証言したのに導かれて,アンデレと一緒にイエスについて行ったのはこのヨハネであったとされている(ヨハ1:35‐37).後に彼らが父と漁師の仕事を捨ててイエスに従うようになってから(マコ1:19‐20),この兄弟はイエスから「ボアネルゲ,すなわち,雷の子」という名をつけられた(マコ3:17).イエスを拒んだサマリヤ人を焼き滅ぼそうと提案したことや(ルカ9:54),イエスの栄光の座の隣につけてほしいと願ったり(マコ10:37)しているところを見ると,激しい気性の持ち主だったのであろう.イエスの地上の宣教生涯における3度の重要な場面で,ヨハネ,ヤコブ,ペテロの3人だけが同行を許されている(マコ5:37,9:2,14:33).またルカによると,最後の過越の食事を用意するためにイエスが遣わした2人の弟子は,ペテロとヨハネであった(ルカ22:8).ヨハネの名は第4福音書には出ておらず,「ゼベダイの子たち」と言われるのみである(ヨハ21:2).しかし,「イエスが愛された弟子」とは実はヨハネ自身ではないかとされており,そうだとするとヨハネは,最後の晩餐でイエスの右の席に着き,十字架上のイエスから母マリヤを託され,イエスが復活された朝にペテロと一緒に墓に駆けつけ,復活のキリストがテベリヤ湖畔に現れた時にそこにいたことになる(ヨハ13:23,19:26‐27,20:2,21:20).また,この弟子が第4福音書の実質上の著者であったことを示す証言がある(ヨハ21:24).使徒の働きにおいてヨハネは,ペテロと共に大胆に伝道した(使4:13).また,ある期間エルサレム教会で指導的な役割を担っていたらしく,ピリポの伝道でサマリヤの人々が入信した時,エルサレム教会の使徒団を代表してヨハネとペテロが遣わされた(使8:14).パウロがエルサレム教会を訪れた時,ヨハネはエルサレム教会の「柱」として重んじられていた(ガラ2:9).ヨハネが黙示録の幻を見た人物であるとすると,彼は晩年パトモスという島に追放された(黙1:9).伝承によると,それまでエペソにいたと言われている.後代の伝承には,使徒ヨハネは,おそらく兄弟ヤコブがヘロデに殺された時(使12:2)に殉教した,というものがある.9世紀の年代記作者G・ハマルトロスは,シーデのピリポ(450年頃)の物語の中に記されていることを伝えている.それによると,2世紀半ばのヒエラポリスの監督パピアスは,『主のことばの注解』第2巻に,「ゼベダイの子たちは2人とも,主の預言の成就として非業の死に見舞われた」(参照マコ10:39)と述べている.この証言を受け入れる者もいるが,多くの者はシーデのピリポの証言は信用性に欠けると見なしている.なぜなら,エウセビオスがヨハネの早期殉教に何ら言及しておらず,もしゼベダイの子たちが2人共,同時期に殉教したのであれば,使徒の働きがそれに言及しないのは不自然だからである.これに対して,エペソの監督ポリュクラテスによると,「主の御胸によりそっていた」ヨハネは,「証人また教師」の務めを果たしてから「エペソで眠りについた」と言われる.イレナエウスによると,ヨハネが福音書を「出した」のも,異端を論破し「真理の敵」であるケリントスと同じ屋根の下にいることを拒んだのも,「トラヤヌス帝(98―117年在位)の治世まで」住んでいたのも,エペソにおいてであった.ヒエロニムスも,ヨハネが非常な高齢までエペソにとどまっていたという伝承を繰り返し,集会で語る時には「幼子たちよ,互いに愛し合いなさい」と言うのが口ぐせであったと伝えている.この使徒ヨハネが晩年をエペソで過ごしたという伝承はすべて2世紀末以後の教父たちによる証言であって,2世紀前半のエペソを中心にしたアジヤ州の教父たちの文書,特にイグナティオスやポリュカルポスの手紙に使徒ヨハネへの言及が全くないのはどうしてか,という疑問も出ている.しかしこれは2世紀の初めと終わりとで,ヨハネに対する評価や影響力に相違があったためかもしれない.エウセビオスの伝えるところによると,イレナエウスが幼い時ポリュカルポスから聞いたことを述べている中には,ヨハネについても述べられている(『教会史』5:20:4‐6).いずれにしても,2世紀前半の教父文書に言及がないというだけでエペソにいたという伝承を退けてしまうことには無理があろう.
〔参考文献〕宮内彰『ヨハネ,その人と神学』日本基督教団出版局,1971;W・G・キュンメル『新約聖書神学』日本基督教団出版局,1982;Smalley, S. S., John: Evangelist and Interpreter, 1978.
⒋バプテスマのヨハネ.祭司ザカリヤと妻エリサベツの老年に生まれ(前7年頃),ユダヤの荒野で成長し(ルカ1:80),その荒野で神のことばを受けた(紀元26年頃,ルカ3:2).その荒野での生活がクムラン宗団あるいはエッセネ派と関係があったとする見方があるが,慎重に検討されなければならない.たといその見方が支持されるとしても,ヨハネが「整えられた民を主のために用意する」(ルカ1:17)使命を与えられたのは,クムラン宗団やエッセネ派とは異なる新しい衝動によってであった.バプテスマのヨハネが,悔い改めを迫る説教活動を始めると,彼の説教を聞こうと続々と群集が押しかけ,聞いた者たちの多くは罪を告白して,ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた(マコ1:5).ヨハネは,ユダヤ教の主流派,すなわちサドカイ派やパリサイ派に対してきびしい批判をした.彼らは「まむしのすえたち」と呼ばれ,アブラハムの子孫であるからさばきを免れるだろうとする考えが糾弾されている(マタ3:7‐9,ルカ3:7‐8).ヨハネは自分を,後から来られる方の道備えをする先駆者にすぎないと断言した(マコ1:7,ヨハ1:23,27).彼が特に「バプテスマのヨハネ」と呼ばれるのは,彼が授けたバプテスマの特殊性にある.それはクムラン宗団で繰り返し行われていたきよめの儀式のようなものではなく,近づく審判に備えて新しく整えられた神の民に,悔い改めて加えられるという一回かぎりのものであり,バプテスマを受けた者には悔い改めにふさわしい新しい生き方が求められた.イエスの「聖霊と火のバプテスマ」は,ヨハネのバプテスマを完成し,全き罪の赦しと聖霊による新しいいのちを与えるものであった.ヨハネが忠実な残りの者としての整えられた新しい神の民を用意しようとしたことは,ヨセフォスの『ユダヤ古代誌』の記述によっても示唆されている.またクムラン文書の「宗規要覧」には,ヨセフォスがヨハネのバプテスマについて述べているのと同じ意義の沐浴の儀式についての言及がある.しかしヨハネのバプテスマは,その説教が示すように,エッセネ派の信仰や儀式から離れた新しい霊的運動を推進するためのものであった.イエスはこのヨハネからバプテスマを受けた(マタ3:13,マコ1:9).ヨハネはイエスを自分の後に来られる方(メシヤ)として迎えた.ヨハネの宣教活動はヨルダン川下流域に限られてはいなかった.ヨハ3:23によると,ヨハネは一時ヨルダン下流の地域を去って,「サリムに近いアイノン」でバプテスマを授けている.この後,ヨハネはヘロデ・アンテパスの領地(おそらくペレヤ)に戻って活動を続けた.アンテパスが兄弟ピリポの妻へロデヤを奪って妻としたことを非難されたため,アンテパスはヨハネを捕らえてペレヤ(死海の東岸)にあるマケルスの城塞に幽閉した.その後間もなく,ヨハネはそこで処刑された(マコ6:16‐29).新約聖書は,ヨハネをイエスの先駆者として明確に位置づけている.ヨハネが捕らえられた後,イエスはガリラヤ伝道を開始した(マコ1:14‐15).ヨハネのバプテスマは使徒的宣教の出発点であった(使10:37,13:24‐25.参照マコ1:1‐4,使1:22).イエスはヨハネを,マラ4:5‐6/3:23-24に「主の大いなる恐ろしい日が来る前に」遣わされると約束された回復の使命を持つエリヤと見なし(マタ11:14,マコ9:13.参照ルカ1:17),また預言者の最後を飾る最大の預言者と言って評価している(ルカ7:24‐28).しかしヨハネがどれほどすぐれた人物であっても,神の国で一番小さい者よりもその特権においては劣っているのである.ヨハネの弟子たちは,ヨハネの死後もかなりの期間にわたって教団として存続し,他の地域にも広がっていたらしい.その証拠は,ヨハネのバプテスマしか知らないアポロや彼に導かれた信者たちがエペソにいたという事実である(使18:24‐25,19:1‐4).ヨハネ教団は,イエスにバプテスマを授けたのはヨハネであるから,ヨハネの方が当然イエスよりすぐれている,と主張していたらしい.それに対してヨハネの福音書は,イエスは先在者であるゆえにヨハネにまさる方であると教えている(ヨハ1:15).
〔参考文献〕日本聖書学研究所編『死海文書』山本書店,1963;Scobie, C. H. H., John the Baptist, 1964; Kraeling, C. H., John the Baptist, 1951; Wink, W., John the Baptist in the Gospel Tradition, 1968.
⒌マルコと呼ばれるヨハネ.伝統的に第2福音書の著者とされているエルサレム出身のユダヤ人.ヨハネはヘブル名で,マルコは[ラテン語]マルクスに基づくギリシヤ名である.単に「ヨハネ」(使13:5),「マルコ」(使15:39)と呼ばれる場合もあるが,「マルコと呼ばれているヨハネ」(使12:12,25),「マルコとも呼ばれるヨハネ」(使15:37)とも呼ばれている.(詳しくは本辞典「マルコ」の項を参照).(村瀬俊夫)

(出典:村瀬俊夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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