《じっくり解説》ユダ(地名)とは?

ユダとは?

ユダ…

([ヘブル語]yehûdāh,[アラム語]yehûd) ユダという呼称の由来について,創29:35によればレアは第4子が生まれた時,「今度は主をほめたたえよう」と言ってユダと名づけたとあるから,ヘブル語のヤーダーを語源とし,「感謝」「賛美」の意味と考えられる.似た名前が創26:34「エフディテ」,Ⅰ歴2:47「ヤフダイ」に見られる.
しかし,アラビヤ語のワハド(ヘブル語のヤハドゥ)に由来するという説もある.その説によれば,「低地」「低い」という意味で,ユダの山地の西側にある低地に住んだ部族という意味か,あるいは,レアの第4子という地位と関係があるのではないかと言われている.
地名あるいは領土としてのユダについては以下の通りである.
部族の領土.申34:2によれば,ヨルダンの平野から地中海までの間を指している.ユダ部族に与えられた領土としての記述はヨシ15:1‐12にあり,民34:3‐5と一致する.すなわち,東の境は,死海の岸に沿って,南端から北端まで,北の境は,ヨルダン川の南端から始まって,エルサレムの南の谷ベン・ヒノムに沿い,ベテ・シェメシュを通ってヤブネエルに至る.西の境は地中海である.南の境は,死海の南端からカデシュ・バルネアに至り,そこから,エジプト川(ワディ・エル・アリシュ)に出て地中海に至る.ヨシ15:20‐63には,ユダ部族の町々の名が列記されている.なお,ユダ部族の領土の中で,ベエル・シェバを中心とする地域はシメオン部族に与えられた(ヨシ19:9).地理的な表現としては「最南端の町々」(ヨシ15:21),「低地」(15:33),「沿岸」(15:47),「山地」(15:48),「荒野」(15:61)ということばが用いられているが,これは大きく3つの型に分けられる.⑴海岸の平野部でペリシテ人の地として知られた地(Ⅰサム6:1,27:1,Ⅱ列8:2‐3).この地はユダの領土として割り当てられはしたが,実際はペリシテ人が住んでいた.肥沃な平野または斜面で,多くの人口を支えることができた.⑵シェフェーラーあるいは低地(申1:7,ヨシ9:1,11:2,16,15:33,Ⅰ列10:27,Ⅰ歴27:28,エレ17:26).これは山地と海岸の平地の間に位置する地域.山に囲まれた谷間で,穀物が豊富.洞穴も多い.しばしばペリシテ人との戦いの場になった.⑶ユダの山地.ここは大部分が岩石地で,自然の要害となり,農耕よりは牧畜に適していた.長さ約56キロ,幅約24キロのこの地域は,北部を除いて,三方が岩山や荒野である.
王国としてのユダ.ソロモンの子レハブアムの時に統一王国はなくなり,イスラエルは北と南に分裂したが,南の王国は滅亡するまでその名をユダ王国と呼ばれた.ユダ王国は,北はベテルの南を境とし,エルサレムを首都として,南はエラテ,カデシュ・バルネアに及ぶ地域で,西はペリシテ人の地を除く範囲であり,ユダ部族とベニヤミン部族とから成っていた(Ⅰ列12:17,21).南王国は,前722年北王国イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされた後も,自然の条件もあって存続したが前586年バビロンのネブカデネザルによってエルサレムが陥落し,ユダ王国は終わりを告げた.
属州としてのユダ.ペルシヤ王クロスは前539年にバビロンを占領し,ユダはペルシヤ帝国の属州として呼ばれるようになった(エズ5:1,8,ダニ2:25,5:13).またペルシヤのダリヨス1世は,全国土を20の州に分けたが,その第5州の「川向こうの州」の中に,シリヤ,フェニキヤ,パレスチナが含まれ,このパレスチナの一地方区がユダであった(エズ4:10,5:6,6:6,8:36).ペルシヤ帝国時代は,「イェフードゥ」と呼ばれ,当時の青銅貨や水差しの取っ手にその文字が記されたものがユダの地から出土している.バビロン捕囚から帰ってきた人々は,元来ユダ王国の者が大部分だったようで,かつての自分の住所に再び定住する者が多かった(ネヘ11:25‐36).
ペルシヤの属州としてのユダは,エルサレムを中心とする長さ48キロ,幅32キロの楕円形の狭い地域であった.
ギリシヤ・ローマ時代には,パレスチナ南部のこの地区をユダヤと呼んだが,前3世紀のエジプト人歴史家マネトンは,ユダヤとはユダヤ人の住んでいる地域を指すことばである,としている(ヨセフォス).
マカベア時代には,ユダヤを中心に,ユダの領域は拡大されていた.しかし,ローマ時代のパレスチナは,地理上,行政上から,ガリラヤ地方,サマリヤ地方,ユダヤ地方の3つに区分されていた(ルカ4:44,使10:37).ユダヤの歴史家ヨセフォスによれば,当時ユダヤは11の地区に分割されており,エルサレムは最も重要な地区であった.
ユダヤは紀元6年アケラオの失脚と共に,総督という肩書きを持つ特別な長官の監督下におかれた.紀元41年までユダヤ地区のみが総督のもとにあったが,44年以後は,全パレスチナが総督のもとにおかれた.(富井悠夫)

(出典:富井悠夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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