《5分で分かる》ヤロブアムとは?

ヤロブアムとは?

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ヤロブアム…

([ヘブル語]yārobʽām) 「民は増す」という意味.⒈ヤロブアム1世.北イスラエル10部族の王国を樹立したエフライム人で,ヨルダン渓谷にあるツェレダの出身.ネバテの子で,母はツェルアである(Ⅰ列11:26‐14:20,Ⅱ歴10:2‐13:20).若い時にその手腕と勤勉さを買われ,ソロモンによってヨセフの家の役務すべての管理者に任じられた(Ⅰ列11:28).彼はシロ人の預言者アヒヤに道で出会い,彼がソロモン王国の分裂の後10部族を支配するようになると伝えられた.ソロモンは,そのことでヤロブアムを殺そうとしたが,彼はエジプトに逃れ,エジプトの王シシャクの保護を受け,ソロモンが死ぬまでそこに滞在した.ソロモンの死後,レハブアムが王とされたが,人々はエジプトからヤロブアムを呼び出し,彼を立てて,レハブアムに重税と労役の軽減を求めた.しかし,聞き入れられなかったので,10部族はついにダビデの家に背き,ヤロブアムを北イスラエルの王とした.ユダの部族はダビデの家に従った.アヒヤの預言はここに実現したのである.ヤロブアムは,イスラエルの部族をエルサレムから引き離すために,シェケムとペヌエルを再建し,金の子牛2つを造り,ベテルとダンにすえた(Ⅰ列12:25‐30).さらに,レビの子孫でない者を祭司と定め,仮庵の祭りを,勝手に考え出した日に変えてしまった.ヤロブアムの偶像崇拝は,預言者たちによってきびしく批判されたが(Ⅰ列13:1‐14:18),終わりまでその背教を悔い改めなかった.ヤロブアムはこのことでイスラエルの神に対して罪を犯してしまった.この「ヤロブアムの道」に後の北王国の王たちが従うことになり,それは北王国の滅亡の時まで続いたのである(Ⅰ列15:26,34,16:19,31,22:52,Ⅱ列3:3,10:29,13:2,11,14:24,15:9,18,24,28).彼の治世は22年で,前931―910年であった.ヤロブアムは北イスラエルの10部族によって王とされたため,ダビデ王朝のように世襲制は確立しなかった.
⒉ヤロブアム2世.イスラエルの王ヨアシュの子で,王位を継承した.エフー王朝の第4代,イスラエルの第13代の王で,その治世は41年にわたった(前793―753年).彼のことは列王記に数節記されているだけである(Ⅱ列14:23‐29).彼はイスラエル王国を興隆させた.父ヨアシュと10年以上共に統治した.ヨアシュは,アラム(シリヤ)との戦いに勝って失っていた領土を回復し始め,アラムの首都ダマスコとその北ハマテを制圧した.ヨアシュがユダとの戦いに勝ったので南方への進出の道が開け,ヤロブアムは,ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した.それは,ソロモンの領土と同じほどであった.彼の時イスラエルは経済的繁栄の絶頂に達した.この繁栄は,アミタイの子,預言者ヨナによって預言されていたことであった(Ⅱ列14:25).しかし,彼はネバテの子ヤロブアムの道に従うことをやめなかった(Ⅱ列14:24).預言者ホセアとアモスは,ヤロブアムの時代に登場し,イスラエルの宗教と道徳の腐敗を非難した.アモスは,ヤロブアムの時代の,道徳的宗教的状態を非難し(アモ2:6‐5:27),神の審判を預言した(アモ7:1‐9,8:7‐10).

(出典:上沼昌雄『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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