《じっくり解説》モーセとは?

モーセとは?

モーセ…

([ヘブル語][アラム語]mōšeh,[ギリシャ語]Mōusēs) イスラエルの民をエジプトから導き出した指導者であり,預言者であり,律法授与者である.その生涯は,40年ごとの3期に分けられる.以下その生涯をおもな出来事との関連で考察する.
⒈誕生とエジプトでの40年.
⒉ミデヤンでの40年.
⒊出エジプトと荒野での40年.
⒋シナイ契約.
⒌モアブ契約.
⒍モーセ五書.
⒎新約聖書その他におけるモーセ.
誕生とエジプトでの40年.モーセの生涯に関する資料は旧約聖書が主であり,出エジプト記,レビ記,民数記,申命記に大部分が記されている.
モーセはエジプトで,レビ人の両親アムラムとヨケベデの間に生まれた(出2:1,6:20).ヨケベデはアムラムのおばに当たった.モーセには,3歳年上の兄アロン(出7:7)と,アロンの姉ミリヤムがいた.モーセが生まれた時は,ヨセフのことを知らないパロが統治していた時で,しかもヘブル人の男の子が生まれたら,ナイル川に投げ込んで殺せという命令が出されていた.しかしモーセの両親はこの命令に従わず,彼を隠しておいたが,3か月後ついにパピルス製のかご(ノアの箱舟と同じ語が用いられている)に入れ,ナイル川の葦の茂みの中に置いた.そこでパロの娘に拾い上げられ,実の母を乳母として育てられた(出2:2‐9).その後,パロの娘の子として,40年間宮廷で生活するが,パロの娘は,「水の中から,私がこの子を引き出した」と言ってモーセと名づけた(出2:10).前15世紀のエジプトの文書中には,「子ども」「生まれる」を意味する「モセ」ということばが人の名として用いられている(プタモセ,ハルモセ,トトモセ等)ことから,本来は「……モセ」(~の子)というエジプト名であったのが,ヘブル語との語呂合わせと,水の中から救われ,しかも神の民イスラエルをエジプトの奴隷の地から,また葦の海(紅海)の水の中から引き出すという大事業を行った人物の名として,ヘブル語マーシャー「引き出す」に結びつけて「引き出す者」という名となったと思われる.なぜなら,パロの娘が最初からヘブル語で名前をつけたというのは考えにくいからである.このパロの娘がだれであったかということは,出エジプトの年代を論じる時に取り上げられるが,早期説をとれば,トゥトメス2世の娘でハトシェプスト女王ということになり,後期説をとれば,パロの側室の一人ということになる.モーセの少年時代のことはユダヤの歴史家ヨセフォスの『ユダヤ古代誌』にも伝えられている(2:10:6).新約聖書の使7:22に「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ,ことばにもわざにも力がありました」と記されている通り,彼は当時の最高の教育を受け,読み書き計算はもちろん,天文学,地学,戦術等にも通じていたに違いない.しかも,自分がヘブル人であることを自覚し,奴隷の状態にある同胞のために心を痛めていた.しかし,まだ時が満ちず,モーセはミデヤンの地に逃れて,そこでさらに40年を過ごすことになる(出2:15).
ミデヤンでの40年.モーセはミデヤンの地に逃れた時40歳くらいだったという記事は,使7:23のステパノの説教中に記されている.出7:7には,モーセが再びエジプトに戻りパロの前に立った時は80歳であったとあり,使7:30には,ミデヤンに行って40年たった時,主の啓示が柴の燃える炎の中からあったとも記されている.ミデヤンの地でモーセは祭司イテロの娘チッポラと結婚し,ゲルショムとエリエゼルという子どもを与えられた(出2:21‐22,18:1‐4).彼は羊の番をしながら将来の働きへの備えをした.妻の父イテロはレウエル(出2:18,民10:29)とも呼ばれている.妻チッポラはクシュ人の女(民12:1)と呼ばれているが,それはハバ3:7に出てくるクシャンのことで,ミデヤンと同義と思われる.なお,モーセの義兄弟と訳されているホバブ(士4:11.参照民10:29)はケニ人(Ⅰサム15:6)の先祖となった(士1:16).ミデヤンでの40年の終わりに,モーセはホレブの地のシナイ山のふもとで神からの特別啓示を受けた(出3章).神はその時,柴の燃える炎の中からモーセに語られ,イスラエルの民をエジプトから導き出すよう指示されたが,モーセは,繰り返しそれを辞退しようとした.それに対し,神は約束と共に,特に,御自身の呼び名である聖なる4文字「主」の持つ固有の意味を説明された(出3:13‐14).この点は,出6:3とも深いかかわりを持っており,正しく理解する必要がある.「主」という呼び名は,創世記の中ですでに用いられており,決して初めて示された呼び名ではない.「主」ということばの由来に関しては確かではないが,モーセに対して神は,「主」という呼び名の意味を明らかに示されたのである.それは,ヘブル語の動詞ハーヤーを用いた説明で,出3:12の「わたしはともにいる」という表現をそのまま2回繰り返した形であり「『わたしはある』という者である」(出3:14)と訳されている.出6:3に「わたしは,アブラハム,イサク,ヤコブに,全能の神として現れたが,主という名では,わたしを彼らに知らせなかった」とあるのも,「主」という名の意味が今や明らかにされる時がきたことを示している.すなわち,「主」という呼び名には,「契約を守り成就する」という意味があることが明らかにされたのである.ヘブル語の未完了形には進展的継続を表す機能があると言われるが(ゲゼニウス),「わたしはある」とは,「不変」「共存」「遂行」という意味で,約束に忠実であり,約束を与えた相手と共におり,その約束を成就するということを意味している.族長たちに,全能の神([ヘブル語]エール・シャッダイ)として約束を与えた神が(創17:1,28:3,35:11),「わたしは主である」という名乗りに約束遂行の意味を込めてモーセに現れ,モーセを励まされたのである(出6:2,6‐8).
出エジプトと荒野での40年.イスラエル人がエジプトを出ることを求めたモーセに対し,パロは労働力を失うことを理由に拒絶した.このパロがだれであったかは確かでない.早期説によれば,出エジプトは前1447年,アメンホテプ2世の時に起こった.前1720年頃から,人種的にイスラエル人と近いヒクソスと呼ばれた人々がエジプトを支配し,その支配は約150年間続いた.この時に,ヨセフを中心にイスラエル人がエジプトに移り住んだ.そして前1570年頃から「ヨセフのことを知らないパロ」が第18王朝を創設し,イスラエル人に対する圧迫が始まり,特にトゥトメス3世(前1479―1447年)の時に激しい圧迫がなされた.この説の根拠として次のことがあげられる.⑴ヒクソス支配の終わりと新しい王朝の始まりという大変化.⑵トゥトメス1世の娘ハトシェプストが一時女王として治めたことと,兄弟トゥトメス3世と仲が悪かったこと.⑶Ⅰ列6:1に「イスラエル人がエジプトの地を出てから480年目,ソロモンがイスラエルの王となってから4年目のジブの月,すなわち第2の月に,ソロモンは主の家の建設に取りかかった」と記されており,ソロモンの死が前931年とすると,治世の第4年とは前967年か968年になり,したがってそれより480年前は前1447年となる.⑷士11:26で,エフタがアモン人の王に伝言したことばとして,イスラエル人は当時300年間もその地に住んでいると言っているが,エフタの年代をソロモンより180年くらい前と考えれば,⑶と同じ年数が出てくる.⑸トゥトメス3世の息子で後継者のアメンホテプ2世は,他に類を見ない力持ちで,同時に暴虐を好む王であった(彼のものとされる強弓が,カイロ博物館に収められている).⑹アメンホテプ2世の長男は早死にで王位を継がなかった.⑺前1220年頃のパロであるメルネプタの戦勝碑に「イスラエルは跡形もなくなった」とあるが,その頃までにはイスラエル人がパレスチナに定着していたものと思われる.
次に,後期説によれば,出エジプトは,前1275年頃ラメセス2世の時に起こった.その根拠は考古学的な成果によるものである.⑴出1:11にイスラエル人が「パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた」とある.これはラメセス2世が,ヒクソス時代の首都アバリスを再建して,ピ・ラメッセと改称したことと,イスラエル人が居住していたゴシェンの地のワディ・アトゥムにあるテル・エル・マスクタが,ペル・アトゥム,すなわちピトムであったらしいということと合致する.⑵N・グリュックによるヨルダン東岸の発掘の結果,早期説による年代の頃には,モアブ,エドム地方に住居跡がなかったことになる.⑶ヨシ17:16,18によれば,カナン侵入当時,カナン人は鉄の器,鉄の戦車を持っていた,とあるが,鉄器時代の始まりを前1200年頃とすれば,早期説の年代では早すぎる.⑷ラメセス2世のパレスチナ遠征の記録中にイスラエル人のことが記されていない.以上,早期説も後期説も,それぞれもっともな点があるが,同時に,反論も可能であり,考古学的な成果も決定的なものではないので,どちらが正しいとも言えない.
さて,パロとエジプト人に対する10の災害(血,かえる,ぶよ,あぶ,疫病,腫物,雹,いなご,やみ,初子の死)(出7‐11章)の末,ようやくパロの心もイスラエル人の心も,出エジプトへと向かうことになった.過越の儀式を通して,イスラエル人は主のさばきと守りを体験し,子羊の血による贖いを知った(出12‐13章).イスラエル人はアビブの月の15日にエジプトを出発した(出12:51,13:18).しかし,パロはすぐに心を変えて,イスラエル人の後を追った.前には海,後ろにはエジプトの軍隊,間にあるのは雲の柱,今や救いは主のみにあるという状態であった(出14:10).葦の海(紅海)の位置は不明であるが,今日のスエズ運河の南端にある苦湖の北側であっただろうというのが一般の見解である.ここでの出来事は,出エジプトにおける神の力強く不思議なみわざとして後代に至るまで覚えられたのである(出15:1‐18,申6:20‐25,26:5‐11,詩106:9).葦の海を渡ることによって,救出の第1段階は終わり,以後40年間にわたるシナイの荒野での生活が,カナンへの準備また訓練の期間として始まったのである.
シナイ契約.荒野の旅においてモーセが果たした役割は,第1に,民をシナイ山に導くことであり,第2に,モアブの野に導くことであったと言える.しかも,当初の目的は,シナイ山への旅にあった.途中,うずらとマナが天から与えられ(出16章),第3の月にシナイの荒野に着いた(出19:1).そこで民は,神からの契約のことばを聞き(出20章),主との契約関係を結ぶことによって,新しい国民,祭司の国としての出発を始めることになる(出19:5‐6,24:7).ところで,モーセを通して与えられた神とイスラエルの間の契約の形式が,前14―13世紀の近東諸国に見られる「宗主権条約」「大王の契約」と類似していると言われ,シナイ契約,モアブ契約を,その形式に当てはめる試みがなされている.もしこれが正しいとすれば,モーセは当時の支配国と被支配国との間の契約関係を用いて,神とイスラエルの関係を表したことになる.
⒈前文または見出し 出20:1,申1:1‐5.
⒉歴史的序文 出20:2,申1:6‐3:29.
⒊条項または規定 出20:3‐17,22‐26,21‐23章,25‐31章(詳述),申4‐11章,12‐26章(詳述).
⒋契約本文の保管 出25:16,34:1,28,29,申10:1‐5,31:9,24‐26.
⒌契約本文の朗読 申31:10‐13.
⒍証人 出24:4,申31:16‐30,32:1‐47.
⒎祝福とのろい レビ26:3‐13,14‐20,申28:1‐14,15‐68.
このようにして,神政国家が誕生した.しかし,その直後イスラエル人は,金の子牛事件を起こし,神の怒りを招いた(出32章).しかしモーセの必死のとりなしによって,ようやく神の怒りは去った.幕屋が建てられ,レビ記の内容である民の聖別と礼拝の規定が与えられ,シナイ山のふもとでの1年間の滞在が終わり,カナンへの旅が開始されることになる(民10:11‐12).
モアブ契約.申1章には,シナイ山を出発したイスラエル人が,11日の道のりを歩いてカデシュ・バルネアに着いたと記されている(申1:2,19).カデシュ・バルネアは,死海の南にいたエドム人の西の境界の町で(民20:16),ユダヤ人学者Y・アハロニは,実際に,モーセの山と呼ばれている現在のシナイ山からカデシュ・バルネアまで歩いて11日の距離であることを証明している.カデシュ・バルネアに滞在中,荒野での38年の放浪を決定づける事件が起こった.それは,カナンの地の偵察に派遣された12人の偵察隊の報告である(民13:25‐26).そのうちカレブとヨシュアはカナン進撃を提案したが,他の者はカナンの住民を恐れ,民衆もエジプトへ帰ろうと言い出す始末であった(民14:4).ここに神の怒りは再び燃え上がり,民衆を疫病で滅ぼそうとモーセに告げたが,モーセはまた民のためにとりなし,赦しを求めたのである(民14:19).その結果,カデシュ・バルネアを中心に38年の荒野の生活が始まり(申2:14),その間にその世代の戦士たちは,宿営のうちから絶えてしまった.
荒野の放浪も終わろうとする頃,モーセはヨルダンの東側モアブの地で,新しい世代の者たちに対して,神との契約を更新した(申1:3,5).ミリヤムとアロンはすでに死に(民20:1,29),モーセもヨルダンを渡ることは許されていなかった(申3:27).しかし,モーセの後継者ヨシュア(民27:18‐23)によって,新しい世代は約束の地に入ることができるのである(申1:8).新しい世代が希望を持って乳と蜜の流れる約束の地に入り,そこで神の民としての生活を異教のただ中で正しく守ることができるように,モーセは,民衆のための教えと,神の約束をわかりやすく解説している.それが申命記であり,それは1‐4章,5‐28章/5章‐28:68,29‐30章/28:69‐30章の3つの部分から成っている.これは同時に,神と新しい世代との間の契約であった(申29:1/28:69).120歳になったモーセは民を教え,祝福した後,ピスガの頂から約束の地を眺め,主の命令によって,モアブの地で死んだ(申34:1‐7).
モーセ五書.旧約聖書の最初の5つの書である創世記,出エジプト記,レビ記,民数記,申命記は,モーセによって記録され,編集されたものが基礎となっている.モーセ時代以前から文字は用いられていたし,記録する皮紙,粘土板も広く用いられていたから,モーセは既存の資料(創世記中の物語群,系図等)や,旅行中の日誌,記録等を十分に用いることができた.また,エジプトで受けた広い学問の成果を応用することもできた.創世記は,天地創造を含めて,特にイスラエルの選びが中心であり,出エジプト記は,エジプトの奴隷状態からの救出が主題となっている.そして,レビ記は神の民の聖別,民数記は約束の地への行進,申命記は新しい世代への指針がテーマとなっており,モーセの指導者としての一貫した意図を見ることができる.まさに,モーセの五書であり,「律法はモーセによって与えられ」た(ヨハ1:17)のである.
新約聖書その他におけるモーセ.新約聖書中では,モーセは他のだれよりも多く引用されている.そして,イエス・キリストの職務との比較で,モーセは律法授与者,救出者であり,キリストはその律法の完成者,罪からの真の救い主であると言われている(マタ8:4,17:1‐8,マコ7:10,9:2‐8,10:2‐9,Ⅱコリ3:6‐18).モーセは,キリストによる新しい契約の備えであり予表である(ヘブ9章).モーセは忠実なしもべであったが,キリストは神の子である(ヘブ3:1‐6).モーセによる出エジプトの出来事は,キリストの十字架と復活による贖いの予表である.イスラム教においても,モーセの人格と業績は重要な位置を占めており,モーセはマホメットの到来を預言したと言う.またコーランには,モーセとそのしもべが世界の果てまで旅行したということも記されている.
〔参考文献〕K・A・キッチン『古代オリエントと旧約聖書』いのちのことば社,1979;Encyclopedia Judaica, 1974; Harrison, R. K., Introduction to the Old Testament, Tyndale, 1969; Segal, M. H., The Pentateuch, Magnes Press, 1967; Cassuto, U., A Commentary on the Book of Exodus, Magnes Press, 1967; Pieters, A., Notes on the Old Testament History, 1950.(富井悠夫)

(出典:富井悠夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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