《5分で分かる》モリヤとは?

モリヤとは?

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モリヤ…

([ヘブル語]môriyyāh, mōriyyāh) 「ヤハウェが備える地」あるいは「ヤハウェ顕現の地」という意味.アブラハムがイサクをささげるよう命じられた地(創22:2).「モリヤの地」はベエル・シェバから歩いて3日ほどの道のりにある(創22:4).神(ヤハウェ)がいけにえの羊を「備えた」こと(創22:8,14),またアブラハムに「現れた」こと(創22:14の[ヘブル語]イェーラーエ「備えがある」の原意は「現れる」である.70人訳を参照)から名づけられた名前であろう.それがどこであったかということについては説が分かれている.
⒈ユダヤ人の伝承では,後にソロモン王が神殿を建てた「エルサレムのモリヤ山上」(Ⅱ歴3:1)だと言う.Ⅱ歴3:1に「ソロモンは,主がその父ダビデにご自身を現された所,すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった」と記されているが,これはエルサレムの東の丘,シオンの山である.そこはかつて「エブス人オルナンの打ち場」(Ⅰ歴21:15,Ⅱ歴3:1.Ⅱサム24:18では「アラウナの打ち場」)であったが,ダビデがここに「イスラエルの全焼のいけにえの祭壇」(Ⅰ歴22:1)を築くことを決定し,ここに神殿が建設されることとなった.ダビデの後を継いだソロモンがここに神殿を建設したが,その際オルナンの打ち場を囲むように建てたと言われている.伝承では,アブラハムがイサクをささげようとしたのがオルナンの打ち場だと言われ,今日,「聖岩」と呼ばれているものと同一視されている.聖岩は,イスラム教徒が7世紀に建てた「岩のドーム」(オマルのモスク)の中にあり,伝承では,アブラハムがイサクをささげようとしたのはこの聖岩の上だったと言う.イスラム教徒はこの岩を「アブラハムの場所」(マカーム・エル・カリール)と呼び,マホメット昇天の場所と伝えて崇敬している.ヨセフォスも,アブラハムがイサクをささげようとした「まさにその場所に」ダビデが神殿を建てることにしたと言っている(『ユダヤ古代誌』1:13:1,7:13:4).ヨベル書にも「アブラハムはその場所を『主,見たまえり』と名づけた.これはシオン山のことである」と記されている(18:13).ヒエロニムスもこの伝承を受け入れている.
⒉サマリヤ五書の創22:2は,モリヤを「モレ」とし,創12:6「シェケムの場,モレの樫の木」と結びつけている.すなわち,シェケム南側のゲリジム山を「モリヤの地」と見なし,これを「聖なる山」と呼んだのである.今日,ゲリジム山中腹にはアブラハム時代の中庭式聖所の遺跡や,ギバット・ハオラム(世界の丘)と命名されている一角が存在するが,これはイサクがささげられた場所だとするサマリヤ人の伝承と何らかの関係があるのかもしれない.しかしサマリヤ人のモリヤ山=ゲリジム山説は,聖書改変操作の上に成り立つ作為的なものであり,今日否定されている.
いずれにせよ,「モリヤの地」を巡って,これをエルサレムとするユダヤ人と,ゲリジム山とするサマリヤ人との間には,対立と反感があった.このことはヨハ4:5‐26のスカルの井戸でのイエスとサマリヤの女との礼拝問答の背景となった事実である.
⒊ウルガタ訳は「モリヤの地」を「幻の地」と訳し,70人訳は「高い地」と訳出,シリヤ語訳は「エモリ人の地」と訳すが,これらのように解するとかなり一般的な場所だということになる.
「モリヤの地」が厳密にどこにあったのかは断定できないが,おそらく現在のエルサレム市内およびその周辺の山地あたりであり,聖書の時代には人里離れた場所であったに違いない.

(出典:熊谷徹『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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