《じっくり解説》メギドとは?

メギドとは?

メギド…

([ヘブル語]megiddô, megiddôn) カルメル山脈の南東にあり,現代のハイファから南南東およそ32キロの所にあるパレスチナ最大の廃丘(テル).この丘は周囲より21メートルほども高く,その台上は8.4ヘクタールに及ぶが,古代の町はそれ以上に大きかった.ここは,エジプトとシリヤ,メソポタミヤを結ぶ南北の道路と,パレスチナ南陸部からフェニキヤに至る東西の道路との交差点に当たり,軍事的,商業的に重要な場所だった.
聖書中では,まずヨシュアの指揮下に征服された町のリストに登場する(ヨシ12:21).メギドは,マナセ族に割り当てられたが(ヨシ17:11,Ⅰ歴7:29),彼らはカナン先住民を追い払うことができなかった(士1:27‐28).
デボラの歌には,メギドの流れのそばにあった町タナクについて言及されている(士5:19).ソロモン時代になると,メギドは第5行政区下におかれ,アヒルデの子バアナによって統轄された(Ⅰ列4:12).ソロモンはこの地の戦略上の重要性を考慮して,強力な要塞都市を建設した(Ⅰ列9:15).
南王国ユダの王アハズヤはエフーから逃れてメギドまで来たが,そこで死んだ(Ⅱ列9:27).ヨシヤ王もまた,エジプトのパロ・ネコがアッシリヤを助けようとするのを防ごうと試みたが失敗し,このメギドで殺された(Ⅱ列23:29‐30,Ⅱ歴35:22‐24).
なおゼカ12:11のヘブル語「メギドン」はメギドを指していることは間違いない.黙16:16の「ハルマゲドン」(「メギドの丘」という意味)も同様である.
メギドは多くの考古学者によって発掘され,考古学上きわめて重要な都市である.最初の発掘は1903―05年ドイツ・東洋協会のG・シュマッヘルによってなされた.その際上部地層が発掘され,多くの建造物が発見されたが,当時の知識は限られていたためあまり多くの研究成果はなかった.その後,1925年からシカゴ大学東洋研究所の考古学者たちによって発掘された.最初はJ・H・ブレステッドのもとで,続いてC・S・フィッシャー(1925―27年),P・L・O・ガイ(1927―35年),G・ラウド(1935―39年)らのもとで研究が続けられた.当初,メギドの丘はすべて発掘される予定だったが,第2次世界大戦のため中断された.戦後,Y・ヤディン教授のもとで1960年,66―67年,71年に発掘調査が行われた.
一連の発掘の結果,メギドの廃丘は20の層よりできていることが判明した.第20層は最下層の岩床にある.そこから,2,3の円形の壁と岩床をくりぬいた一連の穴から構成されている建造物が発見されている.出土した陶土器の一部は前4千年期初め頃の物と推定される.第19層からは祭壇のある神殿が見つかった.これは前4千年期終わりに属する.第18―16層は前3千年期,前2800―2300年頃,早期青銅器時代である.その遺跡から,当時のメギドが非常に大きく繁栄した都市だったことが判明した.この層からは段を上った所にある円形の丸石でできた祭壇が発見された.それは動物の骨や土器で覆われているので,あるいは聖書で言う「高き所」と関係があるのかもしれない.
第15―10層は前2000―1500年頃,中期青銅器時代に属する.前の層で発見された大きな祭壇はこの時代にも引き続き使用されていたことが判明している.前19―18世紀に属する第14層からは象牙に刻んだ浮き彫りや青銅の像などが出土している.第13層の遺跡は,この町がおよそ1.5メートルの厚さのれんがの壁で防御されていたことを示す.メソポタミヤに起源を持つと思われる3つの門はきわめて堅固にできており,この町が絶えず外敵に攻撃される危険があったことを物語っている.
第9―7層は前1500―1200年頃,後期青銅器時代に属する.第9層からはすぐれた陶工器が出土している.第8層(前14世紀)からは多くの建築物が発見された.前の層に見られる古い時代の祭壇の上には新しい神殿が建設されている.
第7層(前13―12世紀)では,神殿が再建されたり,宮殿が改築された形跡を残している.この時代,パレスチナはエジプト人の支配下にあったので,多くの象牙品やラメセス3世の名入りの筆入れ,ラメセス6世の胸像の台座なども発見されている.しかし,概して言えば,北方のメソポタミヤ文化の影響を強く受けていると言えよう.さらに,当時の水の供給設備が発見されたメギドの井戸は37メートルもの深さにまで掘られ,岩の切り口から底に至る階段がつけられており,井戸からはトンネルで泉へと通じている.
第6―4層は,イスラエルの王国時代に属する.この時代の初期の層からは,礼拝儀式に用いられた品物や,石灰石でできた角のある香をたく祭壇,粘土製の香をたく台などが出土している.これらはイスラエルのものとは考えられず,士1:28の「イスラエルは,強くなってから,カナン人を苦役に服させたが,彼らを追い払ってしまうことはなかった」との記述を傍証する.
第4層からは,450頭の馬を収容し得る馬屋が発見された.戦前,これらはソロモン時代の馬屋(Ⅰ列9:15‐19)と見られていたが,最近では,もっと後の時代のものと考えられている.ソロモンの町はエジプトのパロ・シシャクによって滅ぼされたが,その後アハブによってメギドは再建された.発見された馬屋はアハブ王,あるいはヤロブアム2世の時代のものであろう.
第3層は,アッシリヤのティグラテ・ピレセル3世による前733年の破壊の跡を明確に示している.その後メギドはしばらくアッシリヤの支配下におかれるが,ヨシヤ王の時代には再びイスラエルのものとなったようである.しかしヨシヤ王以降,この町は城壁も築かれず,普通の住居地域となって,歴史の舞台から消えていった.(中沢啓介)

(出典:中沢啓介『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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