《3分で分かる》ミレトスとは?

ミレトスとは?

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ミレトス…

(新共同訳)([ギリシャ語]Milētos) 小アジヤ西部,カリヤ地方のメアンデル川の河口に位置し,エペソの南約60キロにあった港湾都市.古くからキヨス,サモス,エペソなどと共にイオニア同盟を結んでいた12の都市国家(後スミルナが加わって13)の一つであった.前11世紀以降はイオニアの政治,経済,文化の中心都市となり,ミレトス派と呼ばれる哲学者タレス,アナクシマンドロス,アナクシメネス,また歴史の父と呼ばれるヘカタイオス等の故郷であった.またイオニア様式と言われる,優美さを特徴とする彫刻や建築等の芸術も発展した.前7世紀頃には地中海や黒海沿岸に約80の植民都市を持つほど,海上通商に活躍した.
前6世紀にはリュディア,次いでペルシヤの支配下に移り,前500―494年,ミレトが中心となってペルシヤの支配からの独立を目指して「イオニアの反乱」を起こしたが敗北した.このために前494年ミレトは再びペルシヤ領となり,多くの市民が殺されたり捕囚とされた.しかし,この反乱がペルシヤ戦争の発端となり,前479年にミュカレでペルシヤ軍が敗北した後自治を回復し,アテネを盟主とするデロス同盟に加わった.前334年,アレクサンドロス大王によって占領されてから,町はギリシヤ式の大港湾都市として整備された.大王の死後,この地方はセレウコス,アンティゴノス,プトレマイオス等のヘレニズム王朝,そしてペルガモ王国の支配下に移り,前133年以降ローマの支配下に入った.
新約聖書の時代にはアジヤ州でエペソに次ぐ大都市であったが,港はメアンデル川の土砂で埋まり,しだいに衰微していった.パウロは第3回伝道旅行の帰途この港に立ち寄り,エペソ教会の長老たちを呼んで感銘深い決別説教をした(使20:14‐38).後年パウロは再びこの町を訪問しており,同行したアジヤ人トロピモが病気のためここに残った(Ⅱテモ4:20).
ミレトには以後数世紀にわたって司教区がおかれていたが,紀元3世紀,ゴート人が侵入して町は破壊され,皇帝ユスティノス1世の時代(6世紀)には小さな村にすぎなくなっていた.現在のパラティア付近に,アポロ,アテネの神殿,小アジヤ最大の劇場,アゴラ,議事堂等を含む,おもにローマ時代のミレトの遺跡がある.

(出典:後藤喜良『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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