《じっくり解説》マルコとは?

マルコとは?

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マルコ…

([ギリシャ語]Markos) ヘブル名はヨハネで,「主は恵み深い」という意味.マルコはギリシヤ名で,ラテン語のMarcusには「ハンマー」という意味がある.単に「マルコ」(使15:39等),または「ヨハネ」(使13:5)と呼ばれたり,「マルコと呼ばれているヨハネ」(使12:12)などと呼ばれている.
母はマリヤと言い,父に関する言及はなく,その家も「マリヤの家」と呼ばれていることから,彼女はやもめであったと考えられている(使12:12).もしそうならば,マルコは若い時に父親を失ったことになる.マルコの家はエルサレムの市内にあり,大勢の人々が集まるのに十分な広さを持っていたので,教会の集会にはよく用いられた.伝承によれば,この家はイエスが弟子たちと最後の晩餐を共にされた2階広間のある家であり(マコ14:12‐26等),またペンテコステ以前,そしておそらく聖霊降臨日当日も弟子たちが集まっていた家であったと思われる(使1:13‐15,2:1).その後,ペテロが投獄された時にこの家でエルサレム教会の祈り会が行われた(使12:12‐17).家が広く,女中がいたり門があったことなどから(使12:13,16),マルコの家はかなり裕福であったことがわかる.またマルコは,伝道者でありバルナバ(慰めの子)と呼ばれていたヨセフのいとこであった(コロ4:10).バルナバがレビ人であることから(使4:36),マルコの家もおそらく祭司系であったと考えられる.自分の家でイエスと弟子たちの集まりがなされていたことから,マルコは彼らをよく知っていたと思われるが,マルコを信仰に導いたのは,彼を「私の子」と呼んでいるペテロであったと考えられている(Ⅰペテ5:13).マルコの福音書だけに登場する「ある青年」はマルコ自身のことであると考えられるが,そうであるなら彼は,最後の晩餐の後,素肌に亜麻布を一枚まとっただけでイエスたちの後についてゲツセマネまで行き,イエスの逮捕後自分も捕らえられそうになって,亜麻布を脱ぎ捨て裸で逃げた者ということになる(マコ14:51‐52).
十数年後,ユダヤ地方にききんがあった時,バルナバとパウロが救援物資を持って,アンテオケ教会からエルサレムへ派遣された際(使11:29‐30),彼らはマルコを連れてアンテオケへ帰った(使12:25).その後アンテオケから,マルコはパウロとバルナバの助手として,第1回伝道旅行に同行した.これは単にマルコがバルナバのいとこであったからだけではなく,彼がイエスについて実際に見聞きしたことを伝えることができたからでもあったと考えられる.しかしマルコはキプロスから小アジヤ南部,パンフリヤ地方のペルガに渡った時,一行から離れてエルサレムへ帰ってしまった(使13:5,13).原因としては,パウロが一行のリーダーとなり,いとこのバルナバが軽んじられているように見え,それを受け入れられなかったためであるとか,キプロスで宣教活動の困難を経験し,パウロたちが進んで行こうとしていた所がさらに奥地で異邦人も多い地方であったため,それまで以上の困難を予想し,臆病になったためであるなどの理由が考えられている.その後,エルサレム会議の際にエルサレムへ上ったバルナバが,マルコを再びアンテオケへ連れ帰ったと考えられる.パウロたちが第2回伝道旅行に出かける時,マルコを同行させるかどうかでバルナバとパウロの間に激しい反目が起こり,ついに互いに別行動をとることになった.バルナバはマルコを連れてキプロスへ渡り,パウロはシラスを同労者として選んだ(使15:36‐41).
それから約10年間のマルコの行動に関する明確な記録はないが,パウロがローマの獄中からコロサイ教会やピレモンへ手紙を書き送った時には,マルコはパウロと共におり,パウロは彼を同労者と呼び(ピレ24節),コロサイへ派遣する予定であったことがわかる(コロ4:10).さらに数年後,かつてはパウロから同労者とすることを拒絶されたマルコが,パウロの最晩年には「彼は私の務めのために役に立つ」人物であると認められるまでに成長している(Ⅱテモ4:11).その後マルコはペテロと共にローマにいたが(Ⅰペテ5:13),小アジヤの諸教会への手紙の中でマルコからのあいさつが送られているのは,彼がペテロと共にこの地方の宣教活動に参加したからであろうと考えられる.そしてそれはおそらく,バルナバとのキプロス伝道と,パウロとの働きとの間の時期のことであったと考えられている.
その後のマルコの生涯に関する記事は新約聖書の中には見当たらないが,エウセビオスやヒエロニムス等教父たちの伝承によると,彼は紀元62年までエジプトのアレキサンドリヤで働き,外典の「マルコ行伝」によるとその年に殉教したと伝えられている.確証はないが,もしそうだとすれば,マルコはローマでペテロと共に働いた後,すぐにアレキサンドリヤに行き,エジプト最大の都市で教会の基礎を築いたことになる.また,ヒエラポリスのパピアスが(140年頃),ペテロの通訳者となっていたマルコが,ペテロから聞いたイエスの言行を,順序正しくではないが,記憶しているかぎり正確に書き記したと言っているように(エウセビオス『教会史』),彼がマルコの福音書の著者であると考えられている.これこそマルコの,神と教会と人類への最大の貢献である.(本辞典「マルコのふくいんしょ」の項を参照).(後藤喜良)

(出典:後藤喜良『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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