《5分で分かる》マナセ(人)とは?

マナセ(人)とは?

スポンサーリンク

マナセ(人)…

([ヘブル語]menaššeh,[ギリシャ語]Manassēs) 「忘れる者」という意味.⒈エジプトにおける,オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテによるヨセフの長子.弟エフライムがいる(ふたごとする説もある).ヨセフの父ヤコブは,2人を自分の子と認め,弟エフライムに長子の祝福を与えた(後に北王国はエフライムとも呼ばれた)が,マナセも「一つの民となり,また大いなる者となるであろう」と預言した(創48章).
⒉マナセ部族は次の氏族からなる.マキル族,ギルアデ族,イエゼル(アビエゼル)族,ヘレク族,アスリエル族,シェケム族,シェミダ族,ヘフェル族(ヘフェルの子ツェロフハデには男子の相続人がなかったので,娘たちに相続地が与えられた.ヨシ17:3‐6).モアブの草原における人口調査で登録された者は5万2700人であった(民26:28‐34).
マナセ部族にはモーセによりヨルダン川の東側にあるギルアデの半分とバシャンの全土が相続地として与えられた(民32:33‐40,申3:13,29:7‐8,ヨシ12:1‐6).さらに,ヨシュアによりヨルダン川西側にある10の割り当て地があてがわれた(ヨシ17:5).その相続地は南はエフライム,北はイッサカル,ゼブルンの割り当て地に接し,西は地中海に至る.エフライムの地ほど肥沃ではなかったが,道路は縦横に走り,主要路に沿って古くから町があった.マナセの地の北部に未占領の町々が集中している.ベテ・シェアン,タナク,イブレアム,メギド,ドルといった名があげられ,カナン人が要所を占拠していたことがわかる(ヨシ17:11‐13,士1:27‐28).
士師ギデオンはマナセ族の出身で,マナセの全域に使者を派遣して民を召集し,ミデヤン人を追撃した(士6:35,7:23).同じくマナセに属するエフタはアモン人を屈服させた(士11:29).マナセ族には,ルベン族,ガド族と同様「戦いの訓練を受けた勇者」がいた(Ⅰ歴5:18.参照申33:17).マナセ族の相続地はイッサカル領へも拡張されたと思われる.ダビデがツィケラグに滞在していた時マナセ族からも千人隊のかしらがダビデのもとに来て「略奪隊」に当たった(Ⅰ歴12:19‐22/12:20-23).ヨルダン川東に住んでいたマナセの半部族は繁栄したが,偶像礼拝に陥り,アッシリヤ王ティグラテ・ピレセルにより捕囚となった(Ⅰ歴5:23‐26).
⒊南王国ユダの王ヒゼキヤの子.彼の治世の55年間はユダの諸王の中で最も長い(Ⅱ列21:1).その特徴は,高き所の再建,バアル祭壇とアシェラ像の造営,万象崇拝,人身犠牲,卜占,まじない,霊媒,口寄せ,罪のない人の殺害などである.それは父王ヒゼキヤが遂行しようとした政策に対する逆行であり,被征服民族に自国の宗教を信奉させるアッシリヤの政策の受容あるいは傾注とも考えられる.やがてアッシリヤ王によりバビロンへ捕らえ移されるが,後にエルサレムに戻されてからは,城壁を築き,自ら堕落させた宗教を改革した(Ⅱ歴33:1‐20).エサル・ハドンのシリヤ・パレスチナ遠征に関する角柱の記録に「ユダの王マナセ」(Me-na-si-i)への言及が見られる.「ハッティの地」の22名の王と共に諸王が召喚され,王宮建築のために資材の調達が命じられた.「マナセを鉤で捕らえ……バビロンへ引いて行った」(Ⅱ歴33:11)はこの時のことであったと推測される.アッシュール・バーン・アプリはエジプトに遠征し,前663年テーベを滅ぼしたが(参照ナホ3:8),属領の諸王に軍隊と船を率いて随行するよう要求した.その諸王にはマナセも含まれていたと思われる.
⒋パハテ・モアブ族に属する人で,エズラの勧めにより,異邦人の妻を離縁した(エズ10:30).
⒌ハシュム族に属する人で,エズラの勧めにより,異邦人の妻を離縁した(エズ10:33).

(出典:下村茂『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

新装版 新聖書辞典
定価6900円+税
いのちのことば社