《5分で分かる》マケドニアとは?

マケドニアとは?

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マケドニア…

(新共同訳)([ギリシャ語]Makedonia) ギリシヤ北部の,南をテッサリヤとエーゲ海,東をトラキヤ,西をイリリヤに囲まれた地方および国.古くからマケドニヤ人がこの地方に定着し,前7世紀には王国ができたが,歴史的にはほとんど知られていなかった.また,文化的にも南ギリシヤほどは進んでおらず,都市国家としても重要な地位を持つには至っていなかった.しかし,前4世紀のフィリッポス2世の時代に勢力を拡大してギリシヤを支配するようになり,その子アレクサンドロス大王は東方に帝国を拡大し,小アジヤから,エジプト,メソポタミヤ,ペルシヤ地方,さらにインダス川に至る大帝国を築いた.しかし大王の死後帝国は四分五裂し,マケドニヤ地方はカサンドロスが支配した.アレクサンドロス大王の時代のマケドニヤに関してはダニエル書で青銅の国(2:39)や雄やぎ(8:5)にたとえられて預言され,ヘレニズム時代のパレスチナ地方におけるマケドニヤ勢力(セレウコスやプトレマイオス王朝)に関してはダニ11章や外典のマカベア書(マカバイ記)に詳しい.前168年のピュドナの戦いでローマに敗北したマケドニヤは4地区に分けられ,20年後の前146年にはマケドニヤ州とされ,テサロニケを首都としてローマの総督が統治するようになった(使17:1‐9).
新約聖書時代,マケドニヤはテッサリヤも含み,南はアカヤ,東はトラキヤ,北はダルマテヤ,西はアドリヤ海に囲まれていた.パウロは第2回伝道旅行の際,トロアスでマケドニヤ人の幻を見て,この地方に宣教活動を開始した(使16:9‐10).最初パウロたちは海港ネアポリスから,エグナティア街道に沿って植民都市ピリピへ行った.ここではヨーロッパ最初の教会が誕生した(使16:11‐40).さらに同じ街道を南下して,アムピポリスとアポロニヤを通り州都テサロニケに着いた.ここにも教会が設立されたが迫害が起こり,ベレヤに進んだ(使17:1‐12,Ⅰテサ1:7‐8,4:10).ここからパウロはアカヤのアテネに向かったがシラスとテモテはマケドニヤに残った(使17:13‐15,18:5).後,第3回伝道旅行の際にも,パウロたちはエペソからマケドニヤとアカヤ地方を往復2度訪ねた(使19:21‐22,20:1‐6,Ⅰコリ16:5,Ⅱコリ1:16,2:13,7:5).この時マケドニヤとアカヤの教会はエルサレム教会のために模範的な募金を行い(ロマ15:26,Ⅱコリ8:1‐2),ほかにマケドニヤの教会はパウロの働きのためにも献金をしている(Ⅱコリ11:9,ピリ4:15).数人のマケドニヤ人がパウロたちに同行しており(使19:29,20:4,27:2),後年ローマでの第1回目の投獄の後,パウロはもう一度マケドニヤを訪問している(Ⅰテモ1:3).
マケドニヤは後代,東ローマ帝国の支配下に移って繁栄した.その後一時イスラム勢力の支配に屈したが,やがておもにギリシヤがこの地方を支配するようになり,今日に至るまでギリシヤ正教がおもな宗教となっている.

(出典:後藤喜良『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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