《5分で分かる》ペカとは?

ペカとは?

ペカ…

([ヘブル語]peqah) 「開く」という意味.北王国イスラエルの王ペカフヤの侍従であったが,50人のギルアデ人と共謀してペカフヤを暗殺し,イスラエルの王となった(Ⅱ列15:25).その治世は「20年間」とされるが(Ⅱ列15:27),アッシリヤの記録から,メナヘムの治世が前742年頃までと考えられ,間にペカフヤの治世が入る.しかも,ホセアがイスラエルの王となったのは前732年と解されており,隔たりがある.その解決は困難であるが,「メナヘムは……王国を強くするため」(Ⅱ列15:19)アッシリヤに貢ぎ物を納めたという記述に着目し,ペカはそれ以前にすでにギルアデで強大な勢力を持っていたと推定され(前752年以降),サマリヤでのペカの統治は前739―732年とされる.
ペカはアラム(シリヤ)のレツィンと反アッシリヤ同盟を結成した.メナヘムとペカフヤの親アッシリヤ政策への嫌悪,貢ぎ物のための税金への反発などが背景となったとも思われる.ペカとレツィンは南王国ユダの王ヨタム,アハズにも加盟を要請したが拒絶されたため,エルサレムを攻撃した(Ⅱ列16:5,Ⅱ歴28:5‐6).イザヤはペカとレツィンの滅亡を告げ,彼らを恐れずアッシリヤにも信頼してはならないとアハズに預言した(イザ7:4).彼はその預言に従わず,ティグラテ・ピレセルに使者を遣わして援助を求めた.そのためアッシリヤ軍が攻めてきてダマスコは滅ぼされ,北部イスラエルも侵略された(Ⅱ列15:29).懲罰を加え貢ぎ物を課すだけではなく被占領地域の住民を「捕囚」として移すことはティグラテ・ピレセルの政策であった.アッシリヤは占領地を州組織に編成し,「ギルアデ,ガリラヤ,ドル」に3分割した.
ペカはエラの子ホセアに暗殺され(Ⅱ列15:30),イスラエルはアッシリヤの属州となった.ティグラテ・ピレセル3世のシリヤ,パレスチナ遠征を記録した碑文(断片)にはこれらの状況が次のように述べられている.「〔メナヘムについて言えば,私は〕彼を〔吹雪のように〕打ち倒した.彼は……一人,小鳥のように逃れて,〔そして私の足もとに(?)ひれ伏した〕.私は彼をその王位に戻し〔そして,彼に貢ぎ物を課した.すなわち〕金,銀,色とりどりの装飾のついた亜麻布の衣服……多……〔私は〕彼から受け取った.イスラエル(直訳「オムリの国」)……そのすべての住民(そして)彼らの財産とを私はアッシリヤに持ち帰った.彼らがその王ペカを倒したので,私はホセアを彼らの上に王とした.私は彼らの貢ぎ物として金10タラントと銀1000(?)タラントを受け取り,それをアッシリヤへ運んだ」.アッシリヤの記録からもペカ時代の複雑な政治状況がうかがわれる.
ハツォルの発掘の結果,この時代の破壊が明らかにされ,そこから発見された貯蔵用つぼの破片に刻まれた古ヘブル文字lpqhは「ペカに属する」と解せると言われる.

(出典:下村茂『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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