《5分で分かる》フィラデルフィアとは?

フィラデルフィアとは?

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フィラデルフィア…

(新共同訳)([ギリシャ語]Philadelpheia) 「兄弟愛」という意味.⒈小アジヤの西部,リュディア地方の町で,ツモルス山脈の北麓とコガムス川の間に位置し,サルデスから南東に約45キロの地点,コロサイなどの奥地へ延びる街道沿いにあった.ぶどうの産地として有名で,ぶどうの神ディオニュソスの礼拝が行われていた.前150年頃,ペルガモの王アッタロス2世フィラデルフォスがこの町を建て,彼の名に従ってフィラデルフィヤと命名されたと言われている.前133年からはペルガモと共にローマ帝国の支配下に移ったが,ヘレニズム文化の中心地の一つであり,東方への文化拡大の門とされていた.しかし紀元17年に小アジヤの南西部を襲った大地震によって町は崩壊した.この時は余震が続いたため,多くの市民が城壁の外へ出てテント生活をしたと言われる.後にティベリウス皇帝がこの町を復興し,ネオ・カイザリヤと改名されてアジヤ州の主要な都市の一つとなった(参照黙3:12).さらに,ヴェスパシアヌス皇帝がフラヴィアと改名したが,すぐにまたフィラデルフィヤに戻った.ヨハネの黙示録が書かれた時代(紀元90年代)には,使徒ヨハネとかかわりの深い小アジヤの7つの教会があった(黙1:11).フィラデルフィヤにはその一つがあり,ヨハネから手紙が書き送られている(黙3:7‐13).ここには多くのユダヤ人が住んでおり,教会に対する迫害も激しかったと思われる.20年ほど後,イグナティオスもこの地の教会への手紙の中で,聖書をユダヤ教的に解釈する人々がいることを指摘し,教会の注意を促している(参照黙3:8‐9).また,紀元150年頃にはポリュカルポスと共にこの町の信者11名がスミルナで殉教している.14世紀にイスラムの勢力拡大によって東ローマ帝国の支配が小アジヤから後退する頃まで,フィラデルフィヤはキリスト教の町として存続していた.現在はアラシェヒルと呼ばれるトルコの町があり,城壁,アクロポリス,劇場,神殿等の遺跡がある.
⒉デカポリスの最南の町で,旧約時代はラバ(「大きな(町)」という意味)と呼ばれており,アモン人の首都であった(ヨシ13:25,Ⅱサム11:1,エレ49:2‐3,エゼ25:5,アモ1:14等).イスラエルに一時征服されたり,アッシリヤ,バビロン,ペルシヤ等の支配下に入った.ヘレニズム時代に,プトレマイオス2世フィラデルフォスが古代のラバを再建し,自分の名に従ってフィラデルフィヤと改名した.ここでは守護神アステリアとその子であるヘラクレスが共に崇拝されていた.現在のヨルダンの首都アンマンに当たり,ここには,城壁,アクロポリス,2つの神殿,列柱街路,劇場,橋,音楽堂等の古代遺跡がある.

(出典:後藤喜良『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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