《じっくり解説》ファラオとは?

ファラオとは?

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ファラオ…

(新共同訳)([ヘブル語]parʽōh,[ギリシャ語]Pharaō) 聖書におけるエジプトの王の一般称号.「偉大な家」を意味するエジプト語に由来する.元来は単に王家の宮殿やエジプトの宮廷を指す用語であったが,第18王朝の半ば頃(前1450年頃)から「パロ」という単一の形で王への尊称として用いられるようになった.この創世記や出エジプト記に顕著な用例は,第19王朝以降(前1305年以降)の諸文書に続けて見られる.第22王朝以降(前945年以降),「パロ」の尊称は王の名と組にしても用いられるようになった.
⒈アブラハムの時代のパロ(創12:15‐20).アブラハムは前1900年頃に生きた人物なので,そのパロは第12王朝(前1991―1786年頃)のアメンエムヘトとセンウスレトと名のつく何人かの王のうちの一人とするのが,最も可能性が高いと思われる.
⒉ヨセフの時代のパロ(創37‐50章).ヨセフは前1700年頃に生きた人なので,そのパロは第15王朝のヒクソスの王たちの一人とするのが最もありそうなことと思われる.
⒊抑圧者のパロ.出1‐2章において,「エジプトの王」とか「パロ」と呼ばれている者が1人なのか2人なのかは解釈の問題がある.いずれにしても,それは出エジプトのパロのすぐ前のパロであろう.
⒋出エジプトのパロ(出5‐12章).出エジプトの年代に関して早期説(前15世紀)をとる者はだいたいアメンホテプ2世あるいはトゥトメス3世と考える.後期説(前13世紀)をとる者はラメセス2世と考える.(詳しくは本辞典「しゅつエジプトき」の項を参照).
⒌ゲゼルを征服し,ソロモンと結婚した自分の娘にそれを持参金代わりに与えたパロ(Ⅰ列9:16.参照Ⅰ列3:1,7:8,9:24,11:1).彼はソロモンの初めの25年の治世の間のパロである.そうすると第21王朝末期の2人のパロ,シアムーンとプスセンネス2世が考えられるが,おそらくシアムーンがソロモンの義父となったパロであろう.
⒍ダビデの時代,ヨアブによるエドム人惨殺から逃れてエジプトに行った若いエドムの王子ハダデを受け入れ,妻の妹を彼に妻として与えたパロ(Ⅰ列11:18‐22).彼は第21王朝末期のパロ,アメン・エム・オペかシアムーンのいずれかであろう.
⒎シシャク(シェションク1世).第22王朝の設立者で武勇で知られる.Ⅰ列11:40,14:25‐26,Ⅱ歴12:2‐9に言及されている.
⒏ユダ族のメレデの妻ビテヤの父であるパロ(Ⅰ歴4:18).ビテヤの生きた年代が定かでないので確定できない.
⒐ソ.北王国イスラエルの王ホセアの時代のパロ(Ⅱ列17:4).
10.ティルハカ.第25王朝(エチオピヤ王朝あるいはクシュ王朝)のパロ(Ⅱ列19:9).
11.ネコ.第26王朝の第2の王で,エレ25:19に言及されているパロも彼である(Ⅱ列23:29‐34,Ⅱ歴35:20‐36:4.参照Ⅱ列24:7).
12.ホフラ(エレ44:30).第26王朝の第4の王.エレ37:5,7,11,エゼ17:17,29:2‐3に言及されているのも彼である.また,エレ47:1のパロもおそらく彼であろう.
その他のパロへの言及はおもに預言書に見出される.イザ19:11はエジプトにおける内部分裂が語られている箇所の一部である.それは第22王朝末期から第24王朝(前750―715年頃)に慢性化し,第25王朝(前716―664年頃)のエチオピヤ(クシュ)人の王たちの時代にも続いていた状況を反映している.そのエチオピヤ人の王たちの人を欺く世評と,アッシリヤに対する実際的無力はイザ30:2‐3に述べられている.前701年,アッシリヤのラブ・シャケがパロを「いたんだ葦の杖」(Ⅱ列18:21,イザ36:6)として退けた時,エジプトの王座にあったのはシャビタク(シャバタカ)である.前586年以降,エレミヤとエゼキエルとは,エジプトがバビロンのネブカデネザルに破れると預言した(エレ46:25‐26,エゼ30:21‐26,31:2,18,32:31‐32).前568年にネブカデネザルがエジプトに戦いをしかけた時のパロは,アアフメス2世(アマシス)である.
クシュ人ゼラフ(Ⅱ歴14:9/14:8.参照Ⅰ歴16:8)がパロではなかったことはほぼ確実である.したがって彼はオソルコン1世(ワサルケン)と同一人物と見なされるべきではない.(後藤敏夫)

(出典:後藤敏夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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