《5分で分かる》ピリピとは?

ピリピとは?

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ピリピ…

([ギリシャ語]Philippoi) エーゲ海を南に望む,マケドニヤの主要都市で,海港ネアポリスからエグナティア街道を北西ヘ15キロほど入った,パンガエウス山北東の平原にあった(使16:11‐12).前356年,マケドニヤの王フィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)がパンガエウス山の金鉱開発のために,それまでクレニデス(「泉」という意味)と呼ばれていた町を拡張して城塞都市とし,自分の名前に従ってフィリッピ(ピリピ)と改名した.金鉱は大量の金を産出し,フィリッポス2世が金貨を鋳造したことが知られている.しかし,前168年,ローマ軍がマケドニヤ最後の王ペルセウスを破り,翌年の前167年以降ローマ帝国がマケドニヤを4地区に分割して支配した.ピリピを含む地方の首都はアムピポリスであり,前146年以降マケドニヤ州として統合されてからの州都はテサロニケであった(使17:1).オクタヴィアヌスは前42年,アントニウスと共に,カイザルを暗殺したブルータスとカシウスをピリピ近くで打ち破り,さらに前31年にアントニウスとクレオパトラにアクティウム海戦で勝利を収めてから,勝利を記念してピリピをローマの植民都市とした(使16:12).以後この町は免税や自由を含むローマ市民の特権を持ち,2人の長官が統治していた(使16:35).
新約聖書時代,ピリピは軍事的にも通商的にも重要な位置を占め,マケドニヤのこの地方第一の町となっていた(使16:12).住民は,ローマ人が退役軍人等の軍関係を中心に約半分,ギリシヤ人が半分で,少数のユダヤ人もいたが,彼らは会堂を建てるほどの数ではなく,川岸の「祈り場」で集会をしていた(使16:13).使徒パウロはシラス,テモテ,ルカと共に,第2回伝道旅行の際この町に短期間滞在した.この時紫布の商人ルデヤとその家族が最初に信者となり(使16:14‐15),その後,パウロとシラスが占いの霊につかれた女奴隷のいやし事件で不当に投獄された際,彼らの導きによって,牢の看守とその家族が教会に加えられた(使16:16‐40,Ⅰテサ2:2).こうしてヨーロッパ最初の教会がこの町に誕生した.パウロは第3回伝道旅行の際にもこの町を訪ね(使20:6),後年ローマからピリピ教会に手紙を書き送っている(ピリ1:1).ピリピ教会もしばしばパウロに献金を送ったり(ピリ4:15‐18),ローマの獄中にいたパウロのためにエパフロデトを派遣したりしており(ピリ2:25‐30),新約聖書の中でも模範的な教会の一つとして成長したことがわかる.
現在はフィリベドジクと呼ばれ,町の門(参照使16:13),アクロポリス,広場,商店,図書館,体育場,野外劇場,「パウロの教会」などの遺跡がある.

(出典:後藤喜良『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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