《じっくり解説》ピラトとは?

ピラトとは?

スポンサーリンク

ピラト…

([ギリシャ語]Pilatos) イエス・キリストの時代,ローマ帝国がパレスチナに駐在させていた5代目の行政長官.総督とも呼ばれている.紀元26―36年までこの地位にあった.使徒信条の中に名前をとどめる唯一のローマ官僚である.四福音書,特にヨハネの福音書は,ピラトがイエスに対して十字架刑を宣告するに至った出来事を詳しく記している.ピラトはまた,使徒の働き/使徒言行録の中にも言及されている(使3:13,4:27,13:28).またⅠテモ6:13では「ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト」と述べられている.
「ポンテオ」という名は,彼がローマ人の家系からの子孫,あるいはポンティという古いローマ士族の子孫であったことを示すと思われる.「ピラト」は,ラテン語ピラトゥス(槍で武装したもの)からきているものと言われている.彼の生い立ちや晩年については不明である.彼に関する文献がないわけではないが,そのほとんどが言い伝えや伝説である.
多くのすぐれたローマ人がそうしたように,彼は政治家としての訓練を受けた.そして,その政治的手腕を買われてか,あるいは何かの功績によってか,皇帝ティベリウスによって問題の多いユダヤ人支配という重い仕事を与えられた.ユダヤにはピラトの前にも後にもこのような小支配者が続出している.普通,彼らは税金を集める仕事や経済上の責任を負わされていたが,パレスチナを支配することは大変困難であったために,そこに遣わされる総督は皇帝に対して直接の責任を負い,ピラトがキリストに関して行使したような最高の法的権限を与えられていた.その守備範囲にはユダヤ,サマリヤ,イドマヤが含まれていた.
ほとんどの総督たちはユダヤのように遠隔地で困難が多く,殺伐とした土地での駐在を嫌ったが,ピラトはユダヤ人たちを痛めつけることを喜びとしていたようである.ユダヤ人歴史家ヨセフォスは,彼が聖なる町の中に,乱暴にもいきなりローマのやり方を持ち込んだことによって,ユダヤ人の反感を買ったことを伝えている.ある時には,神殿の中にローマの神々と偶像を刻んだ盾をつるしたこともあった.また神殿のための税金を水道建設に当てるようなこともした.これらのことに加えて,ルカ13:1には恐ろしい出来事が記録されている.「ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜた」.すなわち,ローマの兵隊たちが,ガリラヤ人たちが聖所でいけにえをささげている時に,彼らを殺害したというのである.以上のような恐ろしい出来事の数々は,イエスの裁判の時にピラトが演じた役割と,一致しないように思われる.イエスの裁判では,彼はユダヤ人の言うままに行動するあやつり人形のようであった.おそらくユダヤ人が,自分たちの苦情を直接ローマに訴えていたため,それが度重なるうちにピラトのユダヤ人への恐れが増したのだと考えられる.
当時の習わしに従ってピラトは,祭りの期間中,警備のためにエルサレムにいた.普段彼が駐在している本拠地はカイザリヤであった.ユダヤ人は,自分たちの法廷でイエスを罪に定めた後に,朝早くピラトのもとにイエスを連れてきた(ヨハ18:28).初めからピラトはユダヤ人の機嫌をとることと,罪のない人を罪に定めなければならないこととの板ばさみになっていた.そこで彼は,何か理由をつけてイエスを釈放しようと試みた.そしてイエスが無罪であると宣言して,ヘロデのところに彼を送り,ユダヤ人の満足のためにイエスをむちで打つように命じた.しかしヘロデがイエスを送り返してきたので(ルカ23:6‐11),彼はユダヤ人に,イエスか,強盗の罪に問われていたバラバかを選ばせた(マタ27:20‐23).しかし「もしこの人を釈放するなら,あなたはカイザルの味方ではありません」「カイザルのほかには,私たちに王はありません」(ヨハ19:12,15)ということばを聞いて,ピラトは正義よりも自分の政治生命のことを思ったのであろう,罪のない者に十字架刑を宣告したのである.
聖書はピラトの晩年について語っていないが,歴史家エウセビオスによれば,ピラトは自殺したと言われている.(竹本邦昭)

(出典:竹本邦昭『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

新装版 新聖書辞典
定価6900円+税
いのちのことば社