《じっくり解説》パウロとは?

パウロとは?

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パウロ…

([ギリシャ語]Paulos) ユダヤ名はサウロ.キリスト教徒の迫害者であったが回心し,初代教会最大の宣教者,異邦人への使徒となった.彼の記した13の手紙と,同行者ルカの手になる使徒の働き/使徒言行録から,おもに回心から始まりローマに至るまでの活動と,彼の神学を知ることができる.
生涯.⑴背景.誕生から,エルサレムで迫害者として登場するまでのパウロに関する情報は,ごくわずかである.彼は小アジヤのキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人で(使9:11,21:39,22:3),ベニヤミン族の出身,またパリサイ派に属していた(ロマ11:1,ピリ3:5,使23:6).生まれながらのローマ市民であったことや(使22:28),おそらくは,13歳のバル・ミツワを迎えてからエルサレムに上り,姉妹の家に滞在しながら(参照使23:16),1世紀最大のラビ,ガマリエル1世のもとで学んだと思われること(使22:3)などから,家庭はかなり裕福だったのだろう.タルソは当時,アンテオケやアレキサンドリヤと並ぶ学術都市であったから,生粋のユダヤ人としての教育(律法や天幕作りの技術の修得)ばかりでなく,ギリシヤ・ヘレニズム文化にもふれ,異邦人伝道への備えがなされたと思われる.
⑵回心.「同年輩の多くの者たちに比べ,はるかにユダヤ教に進んでおり,先祖からの伝承に人一倍熱心」であった(ガラ1:14)パウロは,新興のキリスト教を危険視した.彼が,十字架につけられる前のイエスを知っていたかどうかは明らかでない.しかし直接目撃しなかったとしても,同じ町で処刑されたナザレのイエスについて,ある程度の情報を得ていたことであろう.とにかくパウロには,そうしたのろわれるべき方法で殺された人物をメシヤとして仰ぐことは,耐えがたい冒涜と思われた.さらにステパノの神殿批判は,ユダヤ教の伝統に対する破壊的な挑戦と思われた.キリスト者たちの分派的行為によって,神の国の到来が遅れるといういらだちもあったかもしれない.「リベルテンの会堂」に属して,ステパノと論争してきたと思われるパウロ(使6:9)は,彼を石打ちの私刑に処する場に立ち合った(使7:58).そして,これを契機に起こった激しい迫害の先頭に立ち(使8:1‐3),ダマスコにまで赴くが,その途上で回心を経験した(使9:1‐9).彼は天からの光に打ちのめされ,「サウロ,サウロ.なぜわたしを迫害するのか」という声を聞き,その声の主が復活のイエスであることを知った(Ⅰコリ15:8).そして目が見えなくなり,指示通りダマスコに入って3日後,アナニヤが訪れ,彼にバプテスマ(洗礼)を授け,宣教の使命を伝えた.視力を回復した彼は,ただちにダマスコで伝道を開始した.
⑶初期の伝道.パウロは回心後間もなく,アラビヤに行ったようである(ガラ1:17).そこで,イエスがメシヤであるという新しい光のもとに,それまで彼がユダヤ人として得てきたものを再構成したのであろう.それからダマスコに戻ったが,暗殺計画があることを知り,夜陰に乗じて脱出,エルサレムに上った.この第1回エルサレム訪問が,ガラ1:18の訪問と同じであるなら,回心後3年たってのこととなる.エルサレムのキリスト者たちには,パウロの回心は信じられないことであった.しかしバルナバのとりなしにより,ようやく受け入れられて,ペテロとも会うことができた.しかしここでも彼を殺害しようとする者たちがいたので,15日間で早々にタルソに引き上げた(使9:26‐30,ガラ1:18‐19).それからシリヤとキリキヤに行き(ガラ1:21),伝道したものと思われる(参照使15:23,41).その後タルソに戻っていたところに,バルナバが訪れ,アンテオケに来るように要請した.そして2人は協力して,シリヤの首都の教会を築き上げることになった(使11:25‐26).丸1年後,ききんに苦しむユダヤの教会を助けるため,パウロはバルナバと共に救援物資を携えてエルサレムを訪れた(使11:28‐30).これが,ガラ2:1‐10に語られているエルサレム行きであるなら,最初の訪問から14年後ということになる.またその時,エルサレムの使徒たちは,異邦人への使徒としての彼の使命を認めたことになる.
⑷第1回伝道旅行(使13:1‐14:28).エルサレムから戻ったパウロとバルナバは,紀元46年頃,アンテオケ教会から任命派遣され,マルコを伴い,伝道旅行に出発した.まずキプロス島をサラミスから東西に横断してパポスへ.魔術師エルマと対決し(使徒の働きは,その時点からサウロをパウロと呼ぶ),総督を信仰に導く.そして小アジヤに渡って,パンフリヤのペルガ,ピシデヤのアンテオケ,イコニオム,ルステラ,デルベまで巡り,往路を引き返して,アタリヤ港からアンテオケに海路帰還した.その伝道のパターンは,まず会堂でユダヤ人や神を恐れる異邦人に語り,回心者も得るが,拒否した者たちに迫害され,その結果異邦人に向かうというものであった.この旅で,パウロの指導的立場は確立したようである.「バルナバとパウロ」という呼び方が,途中から「パウロの一行」となり(使13:13),パウロの名前が前面に出るようになる.
⑸エルサレム会議(使15:1‐29).その後2―3年母教会に仕えていたが,その間に,異邦人回心者にどこまで律法の規定を守らせるべきかという問題を巡って,ユダヤ主義キリスト者と論争になった.そのためエルサレムに上って協議することになるが,激しい議論の後,ペテロがパウロの立場を支持し,主の兄弟ヤコブの提案で衆議一決した.それは,異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者の交わりのために最低必要な4項目,「偶像に供えた物と,血と,絞め殺した物と,不品行とを避けること」以外は,彼らにどんな重荷も負わせない,というものであった.割礼に固執するユダヤ主義者によって引き起こされた混乱に対処するために書かれたガラテヤ人への手紙は,48年か49年,この会議の直前,第1回伝道旅行によって成立した南ガラテヤの教会に,パウロが書き送った可能性がある.しかし,ガラテヤ2章のエルサレム行きがエルサレム会議のことであるなら,この手紙はずっと後のことになる.
⑹第2回伝道旅行(使15:36‐18:22).49年,マルコの処遇を巡ってバルナバと別れることになったが,シラスを伴い伝道旅行に出たパウロは,陸路,シリヤとキリキヤの諸教会を訪ね,それからデルベ,ルステラに赴いた.そこで一行にテモテが加わる.さらに西に向かうことを聖霊に禁じられ,フルギヤから北ガラテヤに北上し,回心者を得た(参照使18:23).さらに聖霊に導かれトロアスに達し,ルカも一行に加わった.そこでパウロはマケドニヤ人の幻を見,神の導きを信じて海峡を渡り,ピリピ,テサロニケ,ベレヤと伝道した.しかし,ピリピでは入獄の経験をし,またユダヤ人たちの圧迫もあって,早々にマケドニヤを離れなければならなかった.海路南下したパウロは,アテネで伝道の機会を得た.それから,おそらく50年か51年秋までにはコリントに移り,1年半以上(使18:11),アクラとプリスキラ夫婦と共に天幕作りをしながら伝道し,多くの回心者を得た.シラスとテモテから得た情報に基づき,テサロニケの若い教会に手紙を書いたのは,この時期である.やがてシリヤに向けて出帆したパウロにアクラ夫婦が同行したが,途中立ち寄ったエペソに彼らを残し,エルサレムまで行ってからアンテオケに戻った.52―53年頃のことである.
⑺第3回伝道旅行(使18:23‐21:17).パウロはおそらく53年秋までに次の旅に出発し,ガラテヤとフルギヤの諸教会を力づけてから,西に向かい,かねてからの願い通りエペソにやって来た.この小アジヤの中心都市を戦略上の拠点として2年3か月以上伝道したので,着実に福音は広がっていった(使19:10).エペソはまた,アルテミス女神の門前町であったので,偶像を否定するキリスト者の増加は,町の伝統に対する脅威となり,反発した銀細工人たちは反パウロの暴動を起こしたが,パウロの安全は守られた.しかし,エペソ滞在の末期に直面した迫害は,この事件以外にもあり,激しさをきわめたようである(ロマ16:3‐4,Ⅰコリ15:32,Ⅱコリ1:8‐11).パウロは,多くの問題を抱えていたコリントの教会へ,この地より3通の手紙を書いたと思われる.まず,不品行な者たちからの分離を説いた第1の手紙(Ⅰコリ5:9).第2の手紙がいわゆるコリント人への手紙第一である.しかし事態に改善の兆しが見られず,思いきって一時コリントを訪れたが,それも成功とは言えなかった(Ⅱコリ2:1.参照Ⅱコリ12:14,13:1).そこでエペソを最終的に離れる前に,第3書簡「悲しみの手紙」を書き送った.北上してトロアスで再会できると思っていたテトスに会えずマケドニヤに渡ったが,そこでテトスからコリントの教会のリバイバルの知らせを受け,喜びと共に第4の書簡,コリント人への手紙第二を書き送った.おそらくマケドニヤからアドリヤ海東岸のイルリコまで足をのばしてから南下,コリントへの第3の訪問を果たした彼は,そこに3か月とどまり,その間に西方伝道の夢を託して,帝都ローマのキリスト者に手紙を書いた(ロマ1:10,15:19‐25).ガラテヤ人への手紙が北ガラテヤの教会に宛てて書かれたとすれば,この第3回伝道旅行の期間中(53‐58年)のことで,場所はエペソ,マケドニヤ,コリント,いずれの可能性もある.おそらく58年の早春,パウロはマケドニヤ,アカヤの諸教会の献金と,それぞれの教会の代表者を伴い,マケドニヤ,トロアス,ミレトを経て,エルサレムに向かった.エルサレムで苦難にあうという予感はしていたが,それが神のみこころであるとの確信を持っていたので,途中の信者たちの制止を振り切り,旅を急いで,五旬節までにエルサレムに帰還した.
⑻逮捕からローマへの旅(使21:17‐28:31)とその後.エルサレムの長老たちに旅の報告をしたパウロは,彼らの勧めに従い,神殿の祭儀に加わった.ところがそれを,アジヤから来ていたユダヤ人が見つけ,大騒ぎになった.彼は殺されかかったが,ローマの千人隊長に救出された.パウロの殺害計画を知った隊長は,彼をカイザリヤに護送した.こうしてパウロは,総督ペリクスのもとに2年にわたって(おそらく58―60年)幽閉されることになった.総督がフェストに代わった直後,エルサレムに連れ戻されないために彼は皇帝に上訴した.アグリッパ王らの前で弁明した後,カイザリヤからローマへ護送されることになった.主の約束であり,個人的願いでもあったローマ行きは,こうして実現した.まずシドンを経て,ルキヤのミラへ行った.船を乗り換え,難航しながら,クレテの「良い港」に入港した.すでに航海の危険な季節に入っていたので,そこにとどまった方がよいという,パウロの提案は受け入れられず,出帆した.間もなく船は暴風に巻き込まれ,14日間漂流し,ようやくマルタ島に漂着した.ローマに到着したのは,おそらく61年の春頃であろう.そこで家を借り,軟禁状態におかれていたが,2年にわたり伝道することができた.
ここで使徒の働きは終わるが,おそらくこの2年間に,パウロは4通の「獄中書簡」を書き送ったと思われる.そのうち,コロサイ,ピレモン,エペソ人への手紙は一組にして,テキコに託したものである.それから釈放間近に,残るピリピ人への手紙を書いたのであろう.63年頃釈放されたパウロは,伝説によればスペインにまで伝道に出かけたと言う.そして再び捕らえられ,67年頃,ネロ帝の迫害のもとに殉教したと言われる.使徒の働きの記録のどこにも当てはまらない牧会書簡は,この時期のものであろう.63―66年の間にテモテへの手紙第一とテトスへの手紙,そして死の間近にテモテへの手紙第二が書かれたのであろう.
教え.⑴背景.パウロの教えを理解するには,4つの要素を考慮しなければならない.a.ユダヤ教.「きっすいのヘブル人」(ピリ3:5)として育った彼は,回心の後も旧約聖書と同時代のユダヤ教から多くのものを受け継いだ.義にして聖なる唯一の神への信仰は自明のことであり,イスラエルが選ばれた民であることも疑う余地のないことであった.旧約聖書の解釈や引用の仕方,霊と肉の対立,肉体の復活など,キリスト信仰の新しい光のもとにおかれたとはいえ,パリサイ派ユダヤ教と共有する思想は少なくない.b.ヘレニズム.宗教史学派のように,パウロの教えをヘレニズム思想に由来するものとすることはできない.しかし彼は,国際都市タルソ生まれのローマ市民として,ヘレニズム世界をよく理解していた.ギリシヤの詩を引用し,ギリシヤの競技の比喩を用い,人々の心をとらえていた密儀宗教やストア哲学の用語で語ることができたからこそ,ギリシヤ人やローマ人に有効な伝道ができたのである.c.回心.迫害者サウロを使徒パウロに一変させた回心と,それに続くキリスト者としての経験を抜きにして,彼の教えは理解できない.それは「私が宣べ伝えた福音は……人間からは受けなかった……ただイエス・キリストの啓示によって受けた」と言わしめたほどである(ガラ1:11‐12).d.先輩のキリスト者.パウロの独自性を強調するあまり,彼が初代教会の中で遊離していたと考えるなら,それは間違いである.「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは,私も受けたことであって」(Ⅰコリ15:3)ということばは,彼の教えと使徒伝承との連続性を明らかにしている.
⑵神.パウロにとって神は唯一の主権者,万物の創造者である.全知で義なる神として人をさばかれるが,あわれみ深く,人間を救うためにキリストを遣わされた方である.自然,歴史,律法,そして何よりもキリストを通して御自身を啓示する生ける神である.しかし彼の教えの中で最も顕著なことは,神の主権性であろう.「私たちを世界の基の置かれる前から彼(キリスト)にあって選」ばれた神(エペ1:4)は「あらかじめ知っておられる人々を,御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められ……あらかじめ定めた人々をさらに召し,召した人々をさらに義と認め,義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」(ロマ8:29‐30)とあるように,救いのいっさいが神の主権的みわざである.人間の側の責任を無視したりはしないが(参照Ⅱコリ5:10,6:1),神の選びに関しては,「人間の願いや努力によるのではなく,あわれんでくださる神による」と断言する(ロマ9:16).「すべてのことが,神から発し,神によって成り,神に至る」(ロマ11:36)という絶対的な神の栄光がほめたたえられること,それが彼の祈りであった(エペ1:6,12,14).
⑶人間.神の主権的な救いの恵みは,罪のうちに窮した人間に与えられる.「すべての人は,罪を犯したので,神からの栄誉を受けることができず,ただ,神の恵みにより,キリスト・イエスによる贖いのゆえに,価なしに義と認められる」(ロマ3:23‐24).神を知りつつ,神をあがめない人間は,罪深い欲望と偶像礼拝にとらえられ,律法を持つユダヤ人も,持たない異邦人も,だれ一人,神の前に義と認められない(ロマ1‐3章).アダムによってもたらされた罪と死に,すべての人が支配されるようになったからである(ロマ5:12以下,Ⅰコリ15:21‐22).そして「内なる人」としては神の律法に従おうとしても,「肉では罪の律法に仕えている」(ロマ7:14‐25)のである.しかしキリストの救いにあずかる時,からだは罪のゆえに死んでいても,霊において生きる者とされ(ロマ8:10,エペ2:5),また,からだも贖われる希望が与えられる(ロマ8:23).人は本来,神の似姿に似せて造られたものである.そこで,救われるなら,神の子とされ(ガラ4:5‐7),御霊が内住し(Ⅰコリ6:19),新しい被造物として(Ⅱコリ5:17),新しい人を着せられ,御子のかたち,造り主のかたちに似せられていくのである(ロマ8:29,Ⅱコリ3:18,コロ3:10).
⑷律法.おそらく回心によって最も変化したものの一つは,律法理解であろう.「律法による義についてならば非難されるところのない者」であったパウロは,それを「キリストのゆえに,損と思うように」なった(ピリ3:6‐7).かつては義の律法を,行いによるかのように追求したため,そこに到達しなかったユダヤ人(ロマ9:31‐32)の一人であったが,律法とは別の,しかも律法と預言者によってあかしされた,神の義を知ったのである(ロマ3:21‐22).つまり「人は律法の行いによっては義と認められず,ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる,ということを知ったからこそ,私たちもキリスト・イエスを信じた」(ガラ2:16)のである.それでは律法は無益なものなのだろうか.そうではない.「知識と真理の具体的な形」(ロマ2:20)として,人をいのちに導くはずのものであり,したがってまた聖なるものである(ロマ7:10,12).ところが「肉によって無力になったため」(ロマ8:3),律法はいのちを与えることができず,罪人に罪を認めさせるものとなった(ロマ5:13,ガラ3:19).すなわち律法は,「すべての人を罪の下に閉じ込め」ることによりキリストへと導く「養育係」である(ガラ3:22,24).人が律法のもとにとどまるなら,律法を完全に実行しなければならないが,それは不可能であるから,その人はのろいのもとにあることになる.しかし信仰によって救われた者は律法のもとにはない(ガラ3:25,5:18).「キリストが律法を終わらせ」たからである(ロマ10:4).
⑸キリスト.この律法のもとにある人間を贖い出すため,神はキリストを遣わされた.キリストは万物より先に存在し,万物を造られた.また,見えない神のかたちとして,満ち満ちた神の本質を宿している(コロ1:15‐20).キリストは主であり(この称号をパウロは最も多く用いている),救い主であり(エペ5:23,ピリ3:20),神である(ロマ9:5,Ⅱテサ1:12,テト2:13).このようにキリストは,「神の御姿である方なのに,神のあり方を捨てられないとは考えず,ご自分を無にして,仕える者の姿をとり,人間と同じようになられ」た(ピリ2:6‐7).アブラハム,ダビデの子孫として,女から生まれたのである(ロマ1:3,ガラ3:16,4:4).それは,私たちの罪のために,御子を「罪深い肉と同じような形でお遣わしになり,肉において罪を処罰され」るという,神の計画のゆえであった(ロマ8:3).
こうしたキリストの救い主としての働きは,第1に十字架の死による贖罪である.キリストは十字架上で「のろわれたもの」となり,人を律法ののろいから贖い出した(ガラ3:13).また罪を知らないキリストが,「私たちの代わりに罪とされ」たのは,「私たちが,この方にあって,神の義となるため」(Ⅱコリ5:21),また万物が神と和解させられるためであった(Ⅱコリ5:18‐19,コロ1:20,22).こうして人は,キリストの死に継ぎ合わされることにより,罪と律法から解放される(ロマ6:1‐11,7:1‐6).第2にキリストは,その従順において神の義を人にもたらした.十字架の死にまでも従って,救いを全うしたのである(ロマ5:18‐19,ピリ2:8‐11).さらに復活は,キリストを神の御子として公に示し(ロマ1:4),「眠った者の初穂」となって,キリストに属する者の復活を保証する(ロマ8:11,Ⅰコリ15:20‐23).最後に,よみがえられたキリストは,神の右の座に上げられ,教会をとりなし導かれる(ロマ8:34,エペ1:20‐23).
こうしたキリストにある救いの内実を表現するのに,パウロが172回も用いているのが,「キリスト(あるいは主)にあって」という句である.単純に「キリスト者」の同義語として用いられる場合もあるが(ロマ16:10,ピレ16節),多くは行為の主体や源泉を表す(「キリストによって」「キリストから」.ロマ14:14,Ⅱコリ3:14,ピリ4:13).さらに「場」や交わりを意味する場合もある(ロマ8:1,Ⅱコリ5:17).神の愛,恵み,計画,創造と保持,支配や権力に対する勝利が,「キリストにあって」成り立つ.また,救い,選び,召命,贖い,義認,和解,新しいいのちを受けること,御国の世継ぎとされること,死,復活,栄化のいずれもが,「キリストにある」ことである.さらに教会の一致や成長,個人の信仰の成長も「キリストにあって」可能となる.キリスト者の知識や確信のよりどころはキリストにあり,キリスト者の生活態度全体を表現するのに,これほど適切なものはない(「主にあって真実を語る」「主にあって誇る」など).キリストとの表現しがたい密接なかかわりを示すこの句が広く分布していることは,パウロの教えがキリスト中心であることを物語っている.
⑹教会.パウロの教会論の中核は,「キリストのからだ」という比喩であろう(エペ1:22‐23,コロ1:18,24).「教会のかしら」であるキリストの,復活のいのちの活動領域である教会は,からだとして多くの肢体から成る有機体である(ロマ12:5,Ⅰコリ12:12‐27).各器官は機能を異にしながら,しかも一体性を保っている.そこでおのおのからだの肢体として,兄弟をつまずかせないように(Ⅰコリ8:12),互いに関心を払うように(Ⅰコリ12:26),またおのおのに与えられている賜物の違いを認めるように勧められている(ロマ12:6以下,Ⅰコリ12:27以下).教会を愛し養うキリストと,キリストに従う教会の関係は,夫と妻の関係の例証ともされる(エペ5:22‐33).キリストによりユダヤ人と異邦人の間にあった隔ての壁が打ち壊され,「新しいひとりの人に造り上げ」られること,異邦人が神の家族に加えられることは,新しく啓示された奥義である(エペ2:11‐3:11).同じバプテスマを受けた者たちは,こうした一致を,同じパンを食することにより確認する(Ⅰコリ10:16‐17).この主の晩餐は,主の贖いを回顧し,キリストとの現在の交わりにあずかり,来るべきキリストを待ち望むものである(Ⅰコリ11:26).そこに秩序を強調したパウロは(Ⅰコリ11:28‐34),異言の使用についても秩序を求め(Ⅰコリ14章),教会内の戒規にもふれている(Ⅰコリ5:9‐13).またキリストのからだを建て上げるための賜物をあげ(エペ4:11‐16),後には,教会の指導者,監督や執事,長老の資格について具体的な指示を与えている(Ⅰテモ3:1‐13,テト1:5‐9).こうしてパウロは,からだなる教会が,かしらなるキリストに達することを願うのである.
⑺倫理.キリスト者の生活の土台は,キリストにあって新しく造られたという事実である(Ⅱコリ5:17).キリストにあるいのちの御霊の原理により,罪と死の原理から解放され(ロマ8:2),そのゆえに神の愛が心に注がれ,祈りへと向けられ(ロマ8:15,26),愛,喜び,平安などが結実する(ガラ5:16‐24).キリスト者は,自分は「キリストとともに十字架につけられ」たので,生きているのはキリストであること(ガラ2:20),また自分のからだは「聖霊の宮」であって,もはや自分のものではないことを知らなければならない(Ⅰコリ6:19).また,律法から解放された自由人であるが(ガラ5:1),キリストにふさわしく(ロマ15:5),彼の犠牲,愛,謙遜,柔和にならう者となって(ロマ15:3,7,Ⅰコリ11:1,Ⅱコリ10:1,エペ5:2,25,ピリ2:5‐8),キリストの律法を全うするよう期待される(ガラ6:2).律法を全うするのは,愛である(ロマ13:8‐10).さらにキリスト者は,「キリストの心」を持ち(Ⅰコリ2:16),御霊によって,神のみこころや,真にすぐれたものを見分けるように求められる(ロマ12:2,ピリ1:10,Ⅰテサ5:21).こうして,罪や肉の欲,悪魔との戦いはなお継続するが(ロマ7:17,ガラ5:17,エペ6:10以下),個人の聖潔,家庭や職場での人間関係,市民生活など,あらゆる領域において,贖われた者にふさわしく歩むよう勧められている(エペ4‐6章,コロ3:1‐4:6).私たちは「すでに得たのでもなく,すでに完全にされているのでも」ないが,キリストによってとらえられて,「うしろのものを忘れ」,神の栄冠を目指して,「ひたむきに前のものに向かって」一心に走るのである(ピリ3:12‐14).
⑻終末.こうして,救いの完成はなお未来にある.神の御子の到来により,新しい時代が始まった.しかしキリストの復活,そしてキリスト者に内住する御霊は,救いの完成を確信させる初穂にすぎない(ロマ8:23,Ⅰコリ15:20‐23).からだの贖いはキリストの再臨によって完成する.その時,キリスト者は,いつまでもキリストと共にいることになり(Ⅰテサ4:15‐17),キリストに属している死者は復活する(Ⅰコリ15:23).いずれも朽ちない天上のからだを与えられるのである(Ⅰコリ15:35以下).その日はまた,さばきの日でもある.各キリスト者の働きの真価が明らかとなり(Ⅰコリ3:13‐15),その行為に応じて,報いが与えられる(Ⅱコリ5:10).しかし,キリストを拒む人々にとっては,神の怒りが現れる日である(ロマ2:5,8,Ⅰテサ1:10,Ⅱテサ2:10‐12).しかも滅びは突如として襲いかかるのである(Ⅰテサ5:3).その時,被造物全体が「滅びの束縛から解放され,神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられ」る(ロマ8:21).さらに,あらゆる権威,権力がキリストに服し,それから支配全体が神に渡され,死も滅ぼされる(Ⅰコリ15:24‐26).こうして,「神が,すべてにおいてすべてとなられる」のである(Ⅰコリ15:28).パウロは,自らの生存中に必ず再臨があるとは言っていない(ピリ1:20‐23)が,彼は主の再臨を心から待ち望んでいた(ピリ3:20‐21).「主よ,来てください」(Ⅰコリ16:22)という初代教会の祈りと共に.
〔参考文献〕リチャード・N・ロングネカー『パウロの生涯と神学』聖書図書刊行会,1983;A・M・ハンター『パウロによる福音書』教文館,1983;山谷省吾『パウロ』新教出版社,1964;ジェームズ・ストーカー『パウロ伝』いのちのことば社,1963;G・ボルンカム『パウロ―その生涯と使信』新教出版社,1970;J・G・メイチェン『パウロ宗教の起源』聖書図書刊行会,1958.(内田和彦)

(出典:内田和彦『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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