ネゲブとは?
ネゲブ…
([ヘブル語]negeb) 「乾燥した」という意味.口語訳でこの語が地名「ネゲブ」と訳されているのは40回ある(創12:9等).新改訳はそのうちヨシ19:8,士1:16,オバ20節を「南」と訳す.それは,ネゲブ地方が,エルサレムのあるユダの山地から見て南方にあるためで,南という意味の[ヘブル語]ネゲブの用法は地名としての上記の数よりはるかに多い.それでも上記のほかさらにヨシ15:21,ゼカ14:10(参照ヨシ15:32,19:7,Ⅰ歴4:32)などは「ネゲブ」と訳せるであろうし,新改訳はゼカ7:7などで正しく地名として訳している.
地名としてのネゲブはだいたいガザからベエル・シェバ,アラデを経て死海に至る線を北辺とし,東は死海からアカバ湾頭のエラテまたはエツヨン・ゲベルに至るいわゆるアラバを境とし,南はエラテとエジプト川(ワディ・エル・アリシュ)を結ぶ線で囲まれる逆三角形の地帯を指す.
この地方にはアマレクが住み(民13:29),王もいたが(民21:1,33:40),ダビデが統一王国を築いた時,イスラエル領となった.それまではユダ,エラフメエル人,ケニ人,ケレテ人,カレブ人なども住んでいた(Ⅰサム27:10,30:14).東ネゲブのアラバには銅山があり,エツヨン・ゲベルはその積み出し港として重要であった(Ⅰ列9:26,22:48‐49,Ⅱ列14:22).前597年からユダのバビロン捕囚が度重なるにつれ,エドム人が北ネゲブに入ってやがてイドマヤ王国を建て,中部と南方ネゲブには後に南方アラビヤ部族であるナバテヤ王国ができた.この国々はアラビヤ,ソマリア,インドからの香料その他の仲介貿易によって文明を築いた.
このように,第2次大戦後のイスラエル共和国の手による緑化までは荒廃乾燥の砂漠のように見られていたネゲブも,昔は農耕,牧畜,工業,通商の地として十分人が住めたのであり,考古学によって前数千年も昔からの居住跡やユダ王国期の多数の村落やとりでの跡が発見されている.そこには森(エゼ20:46‐47/21:2-3)も,町々(エレ13:19,32:44,33:13,オバ20節)もあった.しかしヨシ15:21‐32に列記されたネゲブの「29の町」のうち所在がわかっているものは少ない.
(出典:榊原康夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)