《5分で分かる》テモテとは?

テモテとは?

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テモテ…

([ギリシャ語]Timotheos) パウロの第2回伝道旅行において,同労者に選ばれて以来(使16:1以下),忠実にその任に当たった協力者.出身地は,小アジヤのルカオニヤ地方のルステラ.ギリシヤ人を父とし,ユダヤ人を母として生まれ(使16:1,3),祖母ロイス,母ユニケより信仰を受け継ぎ(Ⅱテモ1:5),幼い時から聖書教育を受けた(Ⅱテモ3:15).パウロの同労者となった時,テモテは20歳前後であったと思われる.一クリスチャン家庭と一地域教会(使16:2)は,福音がアジヤからヨーロッパ世界へ伝えられる新しい展開に当たり,最も重要な人物をささげたのである.
パウロの同労者としてのテモテは,パウロに同伴し同じ所で働きを共にするばかりでなく,パウロが去った後にもその地方にとどまって働きを続けたり(使17:14,Ⅰテサ3:2,6),パウロの代理,また使者として派遣されたり(Ⅰコリ4:17,16:10),重要な任務,役割を与えられた.この基本的な関係は,第2回伝道旅行ばかりでなく,第3回伝道旅行においても継続した.たとえば,エペソで宣教活動に専念するパウロに協力すると同時に,マケドニヤ(使19:22)を初め各地にパウロの代理,使者として派遣されたと思われる.特に,第3回伝道旅行の最後には,エルサレム教会への献金を携えて,パウロと共にエルサレムに向かう各地域教会の代表者の一人として,テモテも参加していることから見て(使20:4),デルベやルステラなど自分の出身の地方にも立ち寄り,宣教活動に従事したと思われる.
パウロがカイザリヤからローマへ向かう時,テモテは同伴者としては記録されていない.この期間,いずれかの地方で宣教活動をしていたと考えられるが,ローマにおいてパウロが監禁されている時には彼と共にあり(ピリ1:1,コロ1:1,ピレ1節),大きな慰めとなった.そしてパウロに代わり諸教会へ派遣され,具体的な奉仕をする備えをしていた(ピリ2:19‐23).
パウロとテモテの関係で大切な分野の一つは,手紙にかかわるもので,パウロの手紙のうち6つにおいて(Ⅱコリント,ピリピ,コロサイ,Ⅰ,Ⅱテサロニケ,ピレモン),テモテは共同執筆者としてその名があげられている.その役割が具体的にどのようなものであったかの論議は別としても,半数近い手紙の共同執筆者として名があげられていること自体,注目に値する.
テモテへの手紙には,テモテが小アジヤの教会でパウロの代理,使者として責任ある働きをしている様子が書かれている.20歳前後でパウロの同労者となったテモテも,十数年に及ぶ伝道者としての歩みを通し,それなりに成熟してきた時期に,パウロは,「年が若いからといって,だれにも軽く見られないようにしなさい」(Ⅰテモ4:12)と勧告を与え,テモテにその若さを強く意識させている.パウロは,20歳前後のテモテを若すぎるとは考えないで同労者として選んだと同時に,経験を重ねておそらく30代になったと思われるテモテも十分とは考えず,若い者,すなわち前進し,成長すべき者として扱っている(参照ピリ3:12‐14).パウロの殉教後も,テモテはその使命を忠実に果たし続け,エペソ教会の初代の監督として選ばれ,ドミティアヌス帝の迫害のもとで殉教したと伝えられる.

(出典:宮村武夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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