《5分で分かる》タルソとは?

タルソとは?

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タルソ…

([ギリシャ語]Tarsos) 小アジヤ南部キリキヤ州の首都で,パウロの故郷(使9:11,11:25,22:3).海岸より16キロ入ったタルソ川(古代のキドヌス川)の右岸にある.この位置は古代から現在に至るまで変わっていないが,古代の町は現在の市街地の地下に埋まっていて,古代の建築物の多くはまだ発掘されていない.今日見られる遺跡は,ほとんどビザンティンおよびサラセン時代のものであると言われる.
タルソの町の創建については何も知られていない.町の起源はヒッタイト王国末期の頃までさかのぼることができる.シャルマヌエセル3世(前859―824年)の碑文(黒色オベリスク)にはタルジという名前が記されており,前7世紀の半ばアッシリヤにより侵略された町の一つであると記されている.後,アッシリヤ,ペルシヤ,ギリシヤ,ローマの支配下で多くの影響を受け,文化と宗教のるつぼとなった.前333年,アレクサンドロスはタルソがペルシヤ人に焼き払われるところから救った.前170年以降,タルソはアンティオコス4世エピファネスにより再興され,著しくヘレニズム化された.前67年タルソはキリキヤ州の首都となり,再び重要な存在となった.カイザル側に忠誠を尽くした功績により,アントニウスはタルソを自由都市とし,租税を免じた.アントニウスのタルソ滞在中,彼の召喚によってクレオパトラ7世がキドヌス川をさかのぼり,タルソを訪れた.当時タルソは繁栄をきわめ,人口50万を数えたと言われる.タルソの繁栄は肥沃なキリキヤ平原に負うところが大きい.キリキヤは亜麻,天幕用のやぎの毛織物などの原料を産するほかに,リンネル織りや天幕作りなどの手工業が盛んであった.タルソの天幕製造はパウロによっても知られている(使18:3).「れっきとした町の市民」というパウロの誇り(使21:39)は,当時のタルソが政治的,経済的,学問的に秀でていたことを思わせる.タルソはアテネ,アレキサンドリヤに次ぐローマ第3の学都で,古代世界に知られたストア派のアテノドロスを初め,すぐれた哲学者を生み出した.このように海に向かって開けた都市,多様な民族の住む社会こそは,パウロの世界的感覚を培うに最も適していたと言えよう.パウロは若き学徒として,これらの文化,宗教に接し,やがてキリストを体験するに及んで,それらの思想的影響を純化し,福音宣教のために役立てたのである.

(出典:村上宣道『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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