《5分で分かる》ダビデの町とは?

ダビデの町とは?

ダビデの町…

⒈[ヘブル語]イール・ダーウィドゥ.シオン(「要害」という意味)とも呼ばれた丘で,エルサレムの南東の端に位置する.東西にキデロンの谷とチロペオンの谷を擁する自然の要害で,東西約120メートル,南北約375メートル,面積は約3ヘクタールある.古くはカナン人,エブス人が住んでおり,難攻不落のとりでと思われていた.ダビデは,雇用兵を水汲み用の地下道を通って侵入させ,この町を陥落させた.そして彼がこの地を自分の本拠地としたところから,「ダビデの町」という呼び名が生まれたのである(Ⅱサム5:6‐9,Ⅰ歴11:5‐7).
ダビデは,元来イスラエル宗教史においてあまり由緒のないこの地を選び,町の防備を固め,首都としての機能を高めていった.ここは北にも南にも偏らない中間的な地点にあり,全イスラエルを統治するうえで好適であった.この「ダビデの町」の優位性は,政治的にはダビデの王宮が建てられたことにより(参照Ⅱサム5:11,Ⅰ歴14:1),また宗教的には聖所が設定されたことと契約の箱が運び入れられたことによって決定的となった(Ⅱサム6:10‐16,Ⅰ歴15章).ダビデは,自分の名で呼ばれるこの町に葬られたと記されているが(Ⅰ列2:10,ネヘ3:16.参照使2:29),発掘調査により,実際に町の南東部に王家の墳墓があったことが知られている.
後継者ソロモンは,父王から王権と共に宮殿と聖所を引き継ぎ,エジプトから迎えた妻をこの町に住まわせた(Ⅰ列3:1).彼は「ダビデの町」の北方にあるエルサレムの丘の上に王宮を新築し(参照Ⅰ列7:1),続いて豪華な神殿を建てて契約の箱を移管した(Ⅰ列8章,Ⅱ歴5:2).この時から,イスラエルの政治と宗教の中心はエルサレム北部に移った(Ⅰ列9:24,Ⅱ歴8:11).しかし,王家の墓地はダビデの町に残されており,ソロモン(Ⅰ列11:43,Ⅱ歴9:31),レハブアム(Ⅰ列14:31,Ⅱ歴12:16)を初めとして,南王国ユダの歴代の王がそこに葬られた(Ⅰ列15:8,24,22:50,Ⅱ列8:24,9:28,12:21,14:20,15:7,38,16:20,Ⅱ歴14:1/13:23,16:14,21:1,20,27:9).祭司エホヤダは,この地に埋葬されるという栄誉にあずかった(Ⅱ歴24:16).ヒゼキヤ王はギホンの泉から流れ出る地表水溝に代えて,ダビデの町の南西部にあるシロアムの池に至る全長約533メートルの地下水道を作らせた(Ⅱ歴32:30).彼はまた,ダビデの町の北端にあるミロの城壁を補強し,外周の守りを固めた(Ⅱ歴32:5,33:14).
この地名は捕囚期以後も残されており,城壁再建の際,重要な目安となった(ネヘ3:15‐16,12:37).イザ22:9にあるダビデの町は,「エルサレム」を指す詩的表現である.
⒉[ギリシャ語]ポリス・ダウイドゥ.新約聖書にあるイエス・キリストの降誕物語において「ダビデの町」はエルサレムの南南西約7キロの所にあるベツレヘムを指す(ルカ2:4).そこは,ダビデが誕生し,幼年時代を過ごした地であった(参照Ⅰサム16:1,4,13).現在,ベツレヘムの西側斜面に「ダビデの町」と呼ばれる所があるが,いつ頃からの名称なのかはわからない.

(出典:石黒則年『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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