《5分で分かる》ゲリジム山とは?

ゲリジム山とは?

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ゲリジム山…

([ヘブル語]har gerizzîm) シェケムの南西3キロにある山で,現在のジェベル・エト・トル(サマリヤ名ツラ・ブリハを縮約した名).ゲリジム山は標高881メートル,谷からの高さ381メートルの石灰岩でできた山.北側にエバル山(938メートル)があり,その間にシェケム(現在のナブルス)の町がある.エフライム山地を東西に走る道路がこの2つの山の間を通過し,それはさらにエルサレムからガリラヤに通じる南北の道路とシェケムの付近で交差しているために,軍事的にも経済的にも重要な位置にある.この2つの山はこれらの重要な街道を上から見張る形となっている.
アブラハムはカナン到着後,最初の祭壇をこの付近に築いた(創12:7).またヤコブの井戸(ヨハ4:6)は,この山の北東のふもとにある.神はモーセに,ゲリジム山には祝福を,エバル山にはのろいをおくことを命じられた(申11:29).ヨシュアはアイの攻略の後に最初に,モーセの命令を守ってこのことを行った.民は半分に分かれ,ゲリジム山では祝福が語られ,エバル山ではのろいが語られた.2つの山の間には契約の箱が置かれた(ヨシ8:30‐35).士師時代,ヨタムはゲリジム山に立ってたとえ話を語った(士9:7‐21).バビロン捕囚後,ユダヤ人たちはエズラ,ネヘミヤの指導のもとに民族の血を守る運動を展開し,サマリヤ人と分裂した.そこでサマリヤ人はゲリジム山に彼らの神殿を建てた(前4―5世紀頃).その結果,ゲリジム山はサマリヤ人の宗教の中心地となり,毎年過越の祭りをその場所で守っている.イエスがヤコブの井戸のかたわらでサマリヤの女と礼拝の場所について語った時の「この山」(ヨハ4:20‐21)は,ゲリジム山のことである.
サマリヤ人は長年にわたって多くの苦難を経験した.アンティオコス・エピファネスはこの神殿を汚し,これをゼウスにささげた(Ⅱマカベア6:2).前128年,ヒルカノスはこの宮を完全に破壊した.紀元70年,ローマ軍はゲリジム山を包囲し,11600人を殺した(『ユダヤ戦記』3:7:306).紀元2世紀の初頭,ハドリアヌス帝は神殿の廃墟にゼウスの神殿を建てた.486年ゼノ帝はサマリヤ人を放逐し,山頂に教会を建てた.しかしイスラム教徒の征服によってこの教会も破壊された.
1964年R・J・ブルは北側の傾斜に突起物を発掘し,そこにゼウスの神殿の遺跡を発見した.神殿の下からはヘレニズム時代の建造物が発見された.これはヨハネ・ヒルカノスが破壊したサマリヤ人の神殿であったと思われる.

(出典:西満『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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