《5分で分かる》クレタとは?

クレタとは?

クレタ…

(新共同訳)([ギリシャ語]Krētē) エーゲ海の南端に位置する地中海上の山の多い大きな島.東西約250キロ,南北11―56キロで,山脈が東西に走り,ほぼ中央には海抜2456メートルのイダ山がある.古くから地中海貿易の要衝で世界最古の文明地の一つ.クレテは,アッカド人にはカプタラ,エジプト人にはケフティウ,ヘブル人にはカフトルと呼ばれていた.旧約ではクレテという名前で言及されていないが,ダビデの護衛隊のメンバーであるケレテ人はクレテから来たらしい.カフトルという地名で表される地域はおそらく,前2千年期にその支配下にあった島と近隣の沿岸地帯のことである.新約聖書では,クレテ人はペンテコステの時にエルサレムにいた人々の中におり(使2:11),クレテ島は後にパウロのローマへの旅の記録の中で言及されている(使27:7‐13,21).パウロの船はクレテ島東端のサルモネ岬を通過し,南の海岸の中心にあるラサヤの近くの「良い港」と呼ばれる港に着いた.パウロはそこで冬を過ごすことを勧めたが,船はより便利なピニクスに行こうと出帆した.しかし暴風となって押し流され,ついにマルタ島に漂着した.ローマで入獄した後,パウロはここにテトスを派遣して仕事を継続させている.クレテ人の不道徳,不品行,うそつきの悪名は高い.テト1:12のクレテ人についての描写はクレテの詩人エピメニデスからの引用である.
島には前4千年期と前3千年期の新石器時代の定住跡があり,青銅器時代に強力な文明を築いた.その中心はクノッソスで,ここをアーサー・エヴァンズ卿が発掘した.早期青銅器時代(初期ミノアⅠ―Ⅲ,前2600―2000年頃)は商業の漸進的拡大の時期で,中期青銅器時代(中期ミノアⅠ―Ⅲ,前2000―1600年頃)に粘土板,銅板に文字を書き始め,最初は絵文字のミノアの文字は線文字A(前1750―1450年頃)と呼ばれた.クレテ文明は後期青銅器時代の初期(後期ミノアⅠ―Ⅱ,前1600年頃―1400年頃)に頂点に達した.線文字Aが使用されていたが,第3の文字,線文字Bがクノッソスに現れた(後期ミノアⅡ,クノッソスに知られるのみ).これは1953年M・ヴェントリスが解読し,ギリシヤ語(ミケーネの)の古い形で述べられたことが発見された.前12世紀にドーリアのギリシヤ人が侵入して鉄器を導入した.前2千年期のエジプトとウガリットはクレテの西アジヤへの拡大を傍証する.これは民族の移動が起こり,ペリシテ人などの前14世紀の海の民の侵入によって頂点に達した.鉄器時代,島は多くの都市国家に分かれ,前67年にローマに服従した.

(出典:油井義昭『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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