《5分で分かる》キリキアとは?

キリキアとは?

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キリキア…

(新共同訳)([ギリシャ語]Kilikia) 小アジヤの南東の沿海地帯にある,広く,重要な地域.初期には種々の名前を持っていた.ギリシヤ・ローマ時代のキリキヤという名前は,前9世紀のアッシリヤの記録に初めてHilakkaとして出てくる,ここの住民の名に由来する.
北はタウロス山脈によりカパドキヤ,ルカオニヤと境を接し,南は地中海に面している.東はアマヌス山脈によりシリヤに接し,西はパンフリヤにつながる.トラキアとして知られる西の部分はタウロス山脈の荒涼とした高原で,有史以前からローマ時代まで海賊と盗賊の根城であった.キリキヤ・ペディアスとして知られる東の部分は南のアマヌス山,北のタウロス山と海との間の肥沃な平野であった.そしてシリヤと小アジヤの重要な交易路は,2つの大きな峡門,つまり,シリヤの峡門とキリキヤの峡門を通過する.キリキヤへは,陸路では,この2つの山岳地帯峡門を通らなければ行くことができない.キリキヤの峡門では,断崖が迫り,地の裂け目のようになって急流が流れている.おそらく前千年頃にここで行われた土木工事によって小アジヤの中心部と西に向かって道が開かれたのであろう.
キリキヤの平野の首都はパウロが生まれ育ったタルソ(使21:39)であった.キリキヤは新石器時代に始まり,文化は北シリヤとメソポタミヤと大変よく類似している.前3千年期には小アジヤの内陸との接触が増加し,前2千年期のヒッタイト時代には独立国であったらしい.後にシリヤ人とフェニキヤ人が定住し,前7世紀にキリキヤは小独立国となり,後にペルシヤ,アレクサンドロス,セレウコス王朝に支配され,前100年にローマの支配下に入った.実際の統治はポンペイウスが前67年に海賊を駆逐した後に始まった.キケロは前51年にここの総督であった.キリキヤは明らかに初期の帝国の支配のもとで姿を消した.アウグストゥスはトラキアの一部を地元の王朝に,一部をガラテヤとカパドキヤの王国に割譲した.16の半自治都市(その中でタルソが最も顕著であった)よりなるペディアスとトラキア,紀元72年にヴェスパシアヌスが単独のキリキヤ州として再統合した(スエトニウス『ヴェスパシアヌス』8).タルソ出身のパウロ,またルカは,初期の時代について書く時,キリキヤ(ペディアス)をシリヤと一単位として記述しているという点で正確なのである(使15:23,41,ガラ1:21).キリキヤは,パウロにより早くから伝道がなされていた.

(出典:油井義昭『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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