《5分で分かる》キデロンとは?

キデロンとは?

キデロン…

([ヘブル語]qidrôn) 「暗い」「陰の多い」という意味の語源に由来する.一般にはエルサレムとオリーブ山との間を分ける谷または川を意味する(Ⅱサム15:23,Ⅰ列2:37,Ⅱ歴29:16,30:14).この谷はエルサレムの北西部から始まり,⒉5キロ続いた所で南転し,オリーブ山との間を分け,しだいに深い渓谷となって南下する.キデロンは旧市内の北東部でベテスダの谷と合流し(686メートル),シロアムの池の南方でチロペオンの谷と合流(617メートル),さらに南方で西から走るベン・ヒノムの谷と合流し(606メートル),そこからさらに東南東にユダの荒野に深い峡谷を刻みながら,ラス・ハシュカの南方3キロの所で死海に達している.この峡谷には数多くの修道僧の洞穴や修道院があり,最も著名なものはエル・サバの修道院である.
この語がキデロン川と訳されているのは,ヘブル語聖書では1箇所を除いて(Ⅱ列23:4),全部[ヘブル語]ナハルが併記されているからである.また,ヒノムの谷との合流地点からの所は,アラビヤ語でワディ・エン・ナール(「火のワディ」という意味)と呼ばれるように,1年のほとんどは焼けつくように乾燥したワディである.またヘブル語のキデロンが意味するのは,その渓谷の深さであろう.
エルサレムにとってのキデロンの重要性は,その谷と支流とが,エルサレムを要害堅固な町にしているということである.ゲツセマネのあたりで谷は神殿の丘より60メートルも低く,ヒノムの谷の合流地点近くでは120メートルも低く,両側から岩石の急斜面が迫っている.また,ギホンの泉はこの谷の西側の斜面からわき出ている.アグリッパ1世が第3城壁を築いたのは,エルサレムの北側では浅くなっているこの谷の防備力を強固なものとするためであった.
聖書にこの川が最初に記されているのは,ダビデがアブシャロムの反乱にあい,キデロン川を渡って荒野に逃れた事件においてである(Ⅱサム15:23).南王国ユダの王,アサ,ヒゼキヤ,ヨシヤは偶像をキデロン川で焼き,またここに異教の祭壇の灰を捨てた(Ⅰ列15:13,Ⅱ列23:4,6,12,Ⅱ歴15:16,29:16).エレミヤはキデロンを主に聖別された場所とした(エレ31:40).後代になってこの谷の中央部はヨシャパテの谷と呼ばれるようになり,ヨエルはそこを最後のさばきの地と呼んだ(ヨエ3:2,12/4:2,12).また,イエスは十字架にかかる前にキデロンの川を渡ってゲツセマネに入り,祈られた(ヨハ18:1では「ケデロン」).

(出典:石黒則年『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

新装版 新聖書辞典
定価6900円+税
いのちのことば社