《5分で分かる》カペナウムとは?

カペナウムとは?

カペナウム…

([ギリシャ語]Kapharnaoum) [ヘブル語]ケファル・ナフーム(「ナホムの村」という意味)に由来する.ガリラヤ湖の北西岸にある町.イエスの宣教のうち最も重要なガリラヤ伝道の本拠地となった(マタ4:13,マコ2:1).聖書の中ではこの町は福音書だけに出てくる.旧約聖書に出てこないところから,バビロン捕囚後に建てられたものと思われる.ローマ軍の駐留地であり(マタ8:5‐8),収税所があった(マコ2:14).マタイはここがイエスにとって「自分の町」であったと述べている(マタ9:1).イエスはここで,中風にかかった百人隊長のしもべや(マタ8:5‐13),熱病で寝ていたペテロのしゅうとめ(マタ8:14‐15),汚れた霊につかれた人(マコ1:23‐26),4人の者に運ばれて来た中風の男(マコ2:1‐12),その他多くの病人(マタ8:16‐17)をいやした.またカペナウムの役人の息子をカナでいやした(ヨハ4:46‐54).5000人の給食後のいのちのパンの説教(ヨハ6:26‐59)や他の多くの説教はカペナウムの会堂あるいはこの町のどこかでなされた(マコ9:33‐50).イエスはカペナウムの収税所に座っていたマタイを召して弟子とした(マタ9:9‐13,マコ2:14‐17,ルカ5:27‐32).このようなイエスの教えと行いにもかかわらず,この町の人々が悔い改めなかったので,イエスはこの町が滅びることを預言した(マタ11:23‐24,ルカ10:15).この預言は成就し,現在では廃墟となっている.
カペナウムのあった場所は,今日テル・フームの名で知られている所で,ガリラヤ湖の北側にかなり広範囲の廃墟が発見された.福音書やヨセフォス,キリスト者巡礼の記録,中世ユダヤ人の旅行記,現存の記念碑や現在の発掘などによって,カペナウムがテル・フームであり,前1世紀から紀元7世紀まで人が住んでいたことが判明した.ここは,ヨセフォスがヨルダン川の近くのユリアスの町で難にあい,身の安全のためにカペナウムに連れ戻されたという事件と,地理的に一致する.もう1つ,カペナウムとはここであろうと考えられている場所がある.カン・ミンイェーと言い,アイン・エト・タブガと呼ばれている泉で,古くは「7つの泉」と呼ばれた所から海岸に沿ってはるか南にある所である.しかし巡礼者テオドシウスが(530年頃)マグダラからカペナウムに行った時には,カペナウムに着く前に「7つの泉」に到着している.これは,カペナウムがテル・フームである場合には可能であるが,カン・ミンイェーだとすれば不可能なことである.カペナウムの遺跡で最も有名なのはシナゴーグ(会堂)である.これは紀元70年以前のものでイエスが教えた会堂と同定してよいだろう.

(出典:油井義昭『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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