《5分で分かる》カイサリアとは?

カイサリアとは?

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カイサリア…

(新共同訳)([ギリシャ語]Kaisareia) ⒈パレスチナの地中海沿岸にある港町で,カルメル山の南37キロほどの所にあった.古代にはその地方第一の都市で,フェニキヤに属する要塞都市であった.ストラトンの塔と呼ばれた町の跡に,ヘロデ大王が前25年から12年をかけて大々的な改修工事を施し,見事な港町にした.小さな入江を拡張して防波堤を築き,劇場,円形演技場,競技場,導水橋,皇帝礼拝の大神殿を備えた一大都市とした.ヘロデ大王はアウグストゥス・カイザルにちなんで,町の名を「カイザリヤ」と改めた.大防波堤を築いたのでこの地方第一の安全な港となり,パレスチナ全体に対する交通の要所となった.政治的にも軍事的にも重要な都市となり,パレスチナのローマ総督府となった.
新約聖書にはこの時代のカイザリヤが登場する.伝道者ピリポは,ステパノの迫害後,サマリヤでの伝道,エチオピヤの宦官への伝道などを経て,カイザリヤに至っている(使8:40).ピリポは後にここに落ち着いて,生活していた(使21:8).パウロがエルサレムのユダヤ人に殺されそうになった時,キリスト者たちは彼をカイザリヤに連れて下り,パウロの出身地タルソに送り出した(使9:30).ペテロはこの町に駐在していた百人隊長コルネリオを救いに導いた(使10章,11:11).ヘロデ・アグリッパ王は紀元44年にこの地で死んだ(使12:19,23).パウロは,第2回,第3回の伝道旅行を終えてエルサレムに上る時,この町を通っている(使18:22,21:8).そしてパウロはエルサレムで捕らえられて後,ユダヤ人の暗殺を避けるためにカイザリヤに連行された(使23:23,33).パウロはここで2年間獄につながれ,フェストとアグリッパの前で審問された(使24:27‐26:32).その後この港からローマへと護送された(使27:2).
カイザリヤの住民は種々雑多で,66年に,この町でユダヤ人と異邦人の間に騒乱が巻き起こり,それが発端でユダヤ戦争が始まった.しかし,この町自体はローマ時代を通じてその重要性を失わず,有力な司教の座であり,学問の中心地でもあった.オリゲネスが教えたことで有名な神学校が設立され,パンフィルス,エウセビオス,さらにヒエロニムスがここで学んだ.
この町はピリポ・カイザリヤと区別するために,「パレスチナのカイザリヤ」または「海辺のカイザリヤ」と呼ばれている.カイザリヤは現在もその音を伝え,ケイサーリエと呼ばれている.
⒉ピリポ・カイザリヤ.パレスチナの北部,ヘルモン山の南西麓の,ヨルダン川の主水源地にあった町.東,北,南に丘を控えた小さな平地の一角にあり,豊かな水が近くの洞穴からわき出て,早くから開けた場所であったと思われる.旧約聖書に出てくるバアル・ガド(ヨシ11:17,12:7,13:5),バアル・ヘルモン(士3:3,Ⅰ歴5:23)はここを指すとも考えられている.後にはローマの偶像神パン礼拝が長い間この地方で栄えた.前20年に皇帝アウグストゥスはこれをヘロデ大王に与えた.ヘロデ大王はパニアスと呼ばれる聖所の近くに,美しい大理石の神殿を建てた(『ユダヤ古代誌』).前4年にヘロデ大王が死んでから,この町は,彼の息子で地方領主のピリポ(ルカ3:1)に与えられた.ピリポはこの町を拡張してますます美しい町とし,ローマ皇帝ティベリウス・カイザルと自分の名にちなんで「ピリポ・カイザリヤ」と名づけた.イエスとその弟子は,少なくとも一度はこの町を訪ねている(マタ16:13,マコ8:27).
町は後にアグリッパ2世のものとなり,ユダヤ戦争の時にはローマ軍の基地となった.ネロの時代には一時ネロニアスと呼ばれたこともあった.エルサレム滅亡後,ティトゥスはこの町でユダヤ人の捕虜を野獣と戦わせ,その死闘を見世物とした(『ユダヤ古代誌』).町はビザンティン時代,十字軍時代とその重要性を失わなかったが,後にさびれた.現在バニアスという村があるが,昔の名パニアスの名残であろうと思われる.(上沼昌雄)

(出典:上沼昌雄『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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