エドムとは?
エドム…
([ヘブル語]’edôm, ’edōm) 「赤」「赤いもの」という意味.パレスチナの南南東,死海の南からアカバ湾に至る地域で,一般に「エドムの地」と呼ばれるが,「セイルの地,エドムの野」(創32:3/32:4),「セイルの地」(創36:30),「セイル山」(申1:2),「エドムの野」「セイル」(士5:4)という呼び方もされている.エドムの地は,イサクの子エサウの住んだ地である.エサウがエドムと呼ばれた由来は創25:30に記されている通りである.エサウと名づけられた理由は,「赤くて,全身毛衣のようであった」(創25:25)ためであった.「毛衣のよう」ということばと「セイル」という語はよく似ており,意味も同じであるから,「エドム」は色を表し「セイル」は姿,様子を表すと考えられる.エドムの範囲は,北は死海,南は葦の海(紅海)に至る山地で,北はゼレデ川を境界にモアブと接していた(申2:13‐14).出エジプト後のイスラエル人たちは,エドムの西の境界の町としてカデシュをあげている(民20:16).ホル山もエドムの領土にあった(民20:23).ヨシュアによる領土分割の時,ユダ族が得た地の南端はツィンの荒野,エドムの国境であった(ヨシ15:1,21)(エドム人の由来については,本辞典「エサウ」「エドム(人)」の項を参照).創36章には,エサウとその子孫がエドムの地に定住した理由が記されている.N・グリュックの発掘によれば,前23―20世紀までは,この地には高度の文明を持った人々が住んでいたが,前19世紀には衰退し,要害も住居も破壊されてしまったと言う.そして,前14世紀の終わりに至るまで再建されず,羊飼いや遊牧民の仮の宿泊場として用いられるにすぎない状態だった.ところが前14世紀の終わりから13世紀の始めにかけて,農耕を中心とする文化がエドム人,モアブ人,アモン人,エモリ人の間に復活し,領土の分割と民族の団結が強まっていったと言う.そして,ゼレデ川,アルノン川,ヤボク川を自然の境界として,エドム王国,アモン王国,モアブ王国が成立していき,前13世紀から8世紀にかけて繁栄と発展を遂げていったが,やがて前6世紀に完全に没落してしまった.エドムの地には,アカバ湾からシリヤ・メソポタミヤに通じる王の道が通り,またエジプトとアラビヤを結ぶ交通の要路があったので,農耕のみならず,通商,貿易による収入も大きかったようである.イスラエルとのかかわりは非常に深く,族長時代の記事の中に,そしてサウル王とその後の王国時代の歴史記録の中に記されている.エドム人は,後にイドマヤ人となった.
(出典:富井悠夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)