《3分で分かる》エチオピアとは?

エチオピアとは?

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エチオピア…

(新共同訳)ギリシヤ語で「日にやけた顔」という意味.ヘブル語では「クシュ」で,エジプト語の「コーシュ」あるいは「カシィ」からきた.現在はアフリカの北東部にある国であるが聖書中では,現在のスーダンをも含めた広い地域を指して用いられている.前2000年から前1000年頃までエジプトの支配下にあり,その後独立した.Ⅱ歴14:9以下/14:8以下に,アサ王の時代(前911―870年)に,クシュ人ゼラフが攻めてきたが敗退したと記されている.アッシリヤが南王国ユダを前701年に攻撃した時,当時エジプトを支配していたエチオピヤ王国のティルハカが北上した(Ⅱ列19:9,イザ37:9).エチオピヤのエジプト支配は,前663年,アッシリヤの攻撃を受けて首都テーベが陥落し,終わりを告げた.エチオピヤ(クシュ)やセバ,エジプトの産物についての言及がヨブ28:19,イザ43:3,45:14等に見られる.アモ9:7では,エチオピヤは,遠隔の地の例として用いられている.エチオピヤの住民はハム系人種とセム系人種の2つから成っているが,アラビヤ半島から葦の海(紅海)を渡って移住してきたセム系人種とハム系人種との間で混血がなされたと思われる.しかし,ハム系人種の方がセム系人種よりもずっと前に南西アラビヤから北東アラビヤに入ってきたようである.創10:6‐8には,クシュ人(エチオピヤ人)がハムの子孫であると記されている.エレ13:23では,エチオピヤ人は,有色人種と見られていたようである.エチオピヤは,最近まで立憲君主国であったが,その先祖は,ソロモン王とシェバの女王との間に生まれたと伝えられるメネリク1世であると言う.エチオピヤとキリスト教とのかかわりは,伝道者ピリポによるエチオピヤの高官の回心(使8:26‐39)の記事に見られる.紀元4世紀にフルメンティウスが,エチオピヤの支配階級にキリスト教を普及させたと言われる.フルメンティウスが4世紀に故郷シリヤからインドに向かう途中,乗っていた商船が難破して捕らえられ,囚人としてエチオピヤに来たと言うのである.そして,コプト派キリスト教のエチオピヤ教会が国教の地位を保ってきた.

(出典:富井悠夫『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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