エサウとは?
エサウ…
([ヘブル語]ʽēśāw,[ギリシャ語]Ēsau) 「毛深い」あるいは「赤い」という意味.イサクの双子の息子の兄.弟はヤコブである(創25:25‐26).何事に対してもヤコブとは対照的で,エサウは巧みな猟師,野の人であったが,ヤコブは全く正反対で平穏な生活をする者であった(創25:27).父イサクはエサウを愛した.その理由として,イサクが猟の獲物を好んだことがあげられている(創25:28).エサウは粗野な性格を持っていたらしく,一杯の煮物で長子の権利を手離してしまうほどの現実的な判断しか持ち合わせていなかった.「見てくれ.死にそうなのだ.長子の権利など,今の私に何になろう」(創25:32)という彼のことばは,よくそのことを表現している.イサクの祝福を受ける際に,母リベカの策略でエサウは弟ヤコブにその祝福を奪われてしまった.エサウの憤りは「彼の名がヤコブというのも,このためか.2度までも私を押しのけてしまって.私の長子の権利を奪い取り,今また,私の祝福を奪い取ってしまった」(創27:36)ということばに十分表されている.エサウは恨みのあまりヤコブを殺そうとひそかに機をうかがっていたが,ヤコブはいち早く,おじラバンのもとに逃げてしまった.20年後に兄弟は再び出会うことになるが(創32章),エサウ自身はすでに張り合う気持ちがなく,むしろ弟ヤコブとの再会を泣いて喜んだ(創33:4).エサウはイサクの死後ヤコブと全く別れてしまい(創36:6),セイルの山地に住みついた.いわゆるエドムである(創36:8).
エサウに対する聖書自身の批判にはきびしいものがある(創25:34,ヘブ12:16).マラ1:2‐3には「エサウはヤコブの兄ではなかったか……わたしはヤコブを愛した.わたしはエサウを憎み」とある.パウロはエサウとヤコブのことを取り上げて,神の選びの計画の確かさが,行いの良し悪しによるのでなく,召される方によることが明らかにされるためであると述べている(ロマ9:11).狡猾なヤコブに神の祝福があったことに対してはとまどいを感じないでもないが,要はヤコブの信仰心に比して,エサウの無関心さが神の選びに対して二次的な扱いをもたらす結果となったのであろう.
エサウの子孫はセイルのホリ人を追い払い,彼らに代わって住むようになり,エドム人となった(申2:12).後年イエス誕生の時にヘロデ大王が幼児イエスを殺そうとしたが,このヘロデはイドマヤ人(エドム人)であり,エサウの子孫である(マタ2:1以下).
(出典:久保田周『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)