《5分で分かる》アレクサンドリアとは?

アレクサンドリアとは?

アレクサンドリア…

(新共同訳)([ギリシャ語]Alexandria) アレクサンドロス大王によって前332年にエジプトの北海岸に建設された都市で,プトレマイオス王朝時代からローマ帝国の時代,さらにキリスト教時代の下エジプトの中心的な都市であった.アレキサンドリヤはギリシヤ世界の首都として建設され,地中海とマレオティス湖の狭い地峡の上につくられ,エジプトのデルタ地帯の北海岸にある大きな海港都市であった.この港はファロス島とロキアス岬によって形作られ,商業や戦いに適しており,ローマへの穀物のおもな輸出港であった.アレキサンドリヤの商業船は当時最大で,通常はポテオリに直航するが,時折パウロの乗った船のように悪天候の時には小アジヤの沿岸近くを航行した(使27:6).
アレキサンドリヤは,海岸に沿って長さ24キロ,幅1.6キロほどの広さを持っていた.プトレマイオス王朝のもとで最も繁栄したが,ローマ帝国においても,第2の都市となった.プトレマイオス王朝は40万から90万巻の蔵書を有する図書館を持つ博物館を設立した.市は重要な文化の中心地で,卓越した大学を誇っていた.大学はアテネの偉大な学校を模倣して造られたが,すぐにアテネの学校を追い越した.大学は数学,天文学,医学,作詩法の学問で名高く,また文学と芸術も盛んであった.
人口は60―70万ほどで,ユダヤ人,ギリシヤ人,エジプト人によって構成され,ユダヤ人はギリシヤ人と同等の特権を与えられたため多くの者が定住した.住民はここを世界中のユダヤ人の中心と見なしていた.ヘブル語旧約聖書のギリシヤ語への翻訳(70人訳)は,エジプトにおいて前3世紀頃行われたと思われる.この70人訳は離散のユダヤ人の聖書となり,新約聖書の記者たちが一般に使用したのもこれであった.ユダヤ教とギリシヤ哲学との総合が起こり,その後の宗教思想に大きな影響を及ぼした.フィロンのように聖書を極端に比喩的に解する者も出てきた.アレキサンドリヤ哲学が新約の記者たちに思想的影響を与えたかどうかは議論の余地があるが,キリスト教会の神学と聖書の研究への影響は大きかった.この市のキリスト教会は福音書記者マルコが設立したと言われている.ここから福音は全エジプトと周辺の国々へ広まった.アポロのような有能な信徒も出てきた(使18:24).また2世紀には,アレキサンドリヤ学派という神学の学派が栄えた.クレメンスやオリゲネスは聖書研究とキリスト教哲学の先駆者であり,ヘシュキオスやアタナシオスのような人物も出た.キリスト教は市のユダヤ教の特質を譲り受け,宣教への熱心,哲学的弁証,比喩的解釈,聖書注解の適用,知的総合などの特色を持つに至った.

(出典:油井義昭『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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