《5分で分かる》アララテとは?

アララテとは?

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アララテ…

([ヘブル語]’arārat) 旧約聖書に4回だけ見られる語で,アララテ山脈と関係する山,地方,古代王国の名として使用される.⒈ノアの箱舟がとどまった山地の名(創8:4).その正確な位置は不明であり,さまざまな説がある.⑴黒海とカスピ海のほぼ中間に,俗にアララテ山と呼ばれるマッシス山がある.それは一年中雪の消えない双峰の死火山で,一方の標高は約5200メートル(大アララテ),他方は3900メートル(小アララテ)ほどある.登頂が容易でないこの山を,トルコ人はアグリ・ダグ(「苦しみの山」という意味)と称し,クルド人はコウ・イ・ヌー(「ノアの山」という意味)と呼ぶ.これは旧約聖書の世界の北限とも見なし得る.⑵ヴァン湖の南西にあるジェベル・ジュディと見る.シリヤ語訳などの説.⑶バビロニヤ伝承ギルガメシュ叙事詩によれば,大洪水に耐えた箱舟はニジル山に漂着したとされる.これは普通,メソポタミヤの南東部にあるザグロス山脈中のピル・オマル・グドルンと同定される.
⒉アッシリヤ王セナケリブの息子2人,アデラメレクとサルエツェルとが,父を暗殺した後に逃亡した地方の名(Ⅱ列19:37,イザ37:38).今日で言うアルメニヤ地方.小アジヤ東部,アナトリヤ高原の延長と見なし得る地帯で,ティグリス川,ユーフラテス川,アラクセス川の水源地でもある.
⒊バビロニヤ帝国の衰退を預言するエレミヤが,強大な敵対国として,ミニ,アシュケナズと併記する古代王国(エレ51:27).アッシリヤの碑文中にはウラルトゥとして知られる.現在はソ連領に含まれる,古都トゥシュパの一角トプラク・カーレや,エレバンに近いカルミール・ブルルで発掘調査が進み,特徴ある品々が見つかっている.
ウラルトゥの地名が最初に認められるのは,前13世紀のシャルマヌエセル1世の碑文中であり,ウルミヤ湖とヴァン湖の中間にあったフルリ人の小国として言及される.それはメソポタミヤ文化の影響下にありながら,アッシリヤの弱体化に伴って勢力を増した.前9―8世紀が最も隆盛であり,この頃,楔形文字を変形した独特なウラルトゥ語を発達させた.その碑文がかなり見つかっている.国家神はハルディ神であった.前830年頃サルドゥル1世は首都をトゥシュパに移し,新しい王朝を興した.しかし,外からの侵入者に悩まされ始め,前714年にはサルゴン2世にも敗退した.前7世紀中葉から末期にかけてルサ2世らが勢力を盛り返した.セナケリブの息子らが逃亡してきたのは,この頃であろう.ペルシヤの記録によれば,前6世紀にはインド・ヨーロッパ系のアルメニヤ人が主流となっていたが,しだいに自治機能を失い,ペルシヤの属州となっていった.この地方は銅や鉄の産地としても知られている.

(出典:石黒則年『新聖書辞典 新装版』いのちのことば社, 2014)

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